カエターノ特集

最近、カエターノ熱が再び地味に盛り上がってきたので、いくつか録音してみた。
まずは、「インディオ」。
確かだいぶ前にライブで何回かやった記憶はあるが、録音したのは初めてだと思う。
自分でも感心するくらいの珍妙な録音。ある意味、これまでで最高の出来かもしれない(笑)。

http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/indio.mp3

これができたのは、ちょうど昨日、都内某所でDoces BarbarosのDVDなどを見てトロピカリア・スピリット(?)をいただいてきたお陰かも……(シャクリーニャのドキュメンタリーも見せていただき、これもとても面白かった。勝手ながら、誘っていただいたMさんにこれを捧げます!w)。

インディオ
七色に輝いているあの星から
目の眩むような速さで君は降りてくる
南の大陸の真ん中で静かにその目を閉じて息を吸う
最後のインディオの国が滅びた後で
鳥たちの心 透明な水の滴
あらゆる文明よりもはるか前をはるか先にはるか遠く

今 その勇気を モハメド・アリに 垣間見る
誇り高きグアラニの 物語
沈黙と正義はブルース・リーの記憶に
音はリズム、フィリョス・ヂ・ガンディーと 今

確かな肉体のなかに彼はいる
すべての気体と固体と液体のなかに
あらゆる言葉、心、匂い、光と陰、色と音の磁場に
ふたつの大きな海から等距離の場所へ
輝く星から降りた一人のインディオ
この世の物事を明快な言葉で語ってくれるだろう

その瞬間に人々は初めて知るだろう
誰もが目を開き気づき驚くだろう
かけがえのない他者という名の自由が今もそこにあることを

もうひとつは新訳で「Ca Ja」。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/caja.mp3

一握の砂 一粒にも 光の渦が 見えるだろう
波のあとには 新たな色 溢れる愛が 見えるだろう

今ここは花よ石よいつか
今ここは時の甘い蜜が
高らかな鳥の歌、今

大いなる時 小さな音 妙なる響き 聞こえれば
風鳴らす海 羽ばたく土地 心の動き 聞こえれば

今ここは花よ石よいつか
今ここは時の甘い蜜が
高らかな鳥の歌、今

カエターノをやるとどうも固い感じの訳になってしまう。もう少しやわらかい言葉でそれらしい雰囲気を出せればいいなといつも思っている。
「一握の砂」はやりすぎかもなあ、と思っている。しかし正直、どうしたらいいのかよく分からないのだ……。

「好き」と「嫌い」の間

私はとにかくボサノヴァが好きで好きでたまらないんだろう、と思っている人もいるかもしれないが、そういうわけでもない。むしろ、一般人よりボサノヴァが嫌いともいえるかもしれないのだ。
それはともかく、有名なボサノヴァ曲のなかには、苦手だなーという曲がいくつかある。
「Samba de Veraoサマー・サンバ」は、そのなかのひとつだ。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/verao.mp3
お聞きの通り、翻訳もどこか斜めな感じにならざるをえない。
ついでにいうと、この曲をつくったマルコス・ヴァーリという人もなんとなく苦手だ。私はリオの小さな店でこの人のライブを見たのだが、あまり「いいね」な感じがしなかった。とはいえ、こういう「嫌い」はすべて「好き」の裏返しではあるのだろう。
マルコス・ヴァーリの悪口をこんなに真剣に言ったり、やや悪意のある翻訳をしたりする人間は、ボサノヴァ好き以外ではあまり考えられない(笑)。

♪サマー・サンバ
私いいのそれでいいの
愛は何も求めないの
いつもそばにいてくれたら
それでいいの 今はいいの
ほら 夏がくる
熱くなる あなたとすごす夏待ちきれない

夏はいいね すごくいいね
冬もいいね 逆にいいね
海はいいよ 山もいいよ
それはいいね とてもいいよ
ソーナイス! いいんじゃない?
どれもこれもすごい いいんじゃない?

四葉のはなし

「四葉」というかわいい曲を好んで歌っているが、私がはじめて聞いたのは例によってジョアン・ジルベルトの「伝説」というCDである。
どうやら、アメリカの曲らしいと聞いたので、いくつかの英語ヴァージョンを聴いてみた。

これがもっとも有名なヴァージョンらしい(1948年、Art Mooney & His Orchestra)。
ところで、それとは別に最近、ある方に聴かせてもらったのが「ジョアンとは別のポルトガル語版四葉」であった。
やはりYou Tubeにあるというので調べてみると、なんとノエル・ホーザによる替え歌と書いてある。

それなら、もしかして家にもCDあるんじゃないかと思ったら、やっぱりありました(14枚組、まだ全部聞いてなかった……)。
Belo Horizonte 歌っているのはCarlos Didier、1935年だって。
歌詞はなんというか、ジョアンのはちゃんと四葉のクローバーだけど、こちらはちょっとした「戯れ歌」みたいな感じ。でも結構、味がある。

改めてI’m Looking Over a Four Leaf Cloverについてウィキペディアで調べてみると、作曲は1927年だというから、ちょっと驚きだ。1948年に大ヒットする前にノエル・ホーザはもう替え歌作ってたわけだ。
分からないのは、ジョアン・ジルベルトが歌っている歌詞でもっと古い録音はあるのかということ。
あと、戦前のアメリカ録音もぜひ聴いてみたいものである。
というわけで、みなさん四葉について情報提供よろしくお願いいたします!

↓我が家の家宝ノエル・ホーザのボックス・セット。

テルミー

テルミー
なぜ この胸は こうさびしい
なぜ 君と逢う その日だけ楽しい
なぜ 別れ路に 出る吐息が
君の答えおば なやむ身に与えよ

これは、先日の二子玉川ライラでのライブ、対バンの2525稼業さんチャーリー高橋さん岡野勇仁
さん
が演奏したたくさんの素敵な曲のうちのひとつ。私も、結構この辺はCDなどで好んで聴いているのでとても嬉しかった。
改めて歌詞を眺めてみると、ボサノヴァ日本語化計画と非常に近い直訳的世界だということが分かる。古いジャズ時代にはあったこういう感覚が、今はどちらかというと珍しいものになっているわけだ。拙いかもしれないけど、ストレートに伝わる。あまり恰好つけすぎない。そして、歌はみんなのものという前提のようなもの……。
そんなわけで、日本という場所から世界中の音楽を眺める独特の在り方も含め、チャーリーさんたちの試みは、とても共感できるものだった。

ホジーニャ、あるいは薔薇

新しい訳です。ジョアン・ジルベルトがアルバム「ジョアン」で歌っている「ホジーニャ」という曲。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/rosinha.mp3
ホジーニャというのは薔薇という女性の名前なので、そのままでもよいのだが、「ほら、ホジーニャ……」では少し芸がない気がした。

Rosinha ホジーニャ
薔薇よ私の心よ 君が好きさ 結婚しよう 一緒に住もう
君がかけた この魔法を解いて 苦しめないでくれ
ほら、私の心は君のものさ 結婚しよう 一緒に住もう
君がかけた この魔法を解いて 苦しめないでくれ
過ち 愚かに 繰り返さない だから薔薇よ
今すぐ決めよう 小さくキスして もう待ちきれないよ

メタファー、あるいは言葉の力

先日、ブラジル映画祭というのがあって、『Palavra Encantada 魔法じかけの言葉』という作品を見てきた。ブラジル音楽を聴いていると、仮にポルトガル語が分からなくても、豊穣な詩の世界が広がっていることが「なんとなく」感じられる。なんでそんなことになってるのか、いろいろな角度から迫った面白い作品だ。
ジルベルト・ジル「メタフォラ(暗喩)」は、そのエンディングに使われていた曲。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/metafora.mp3

あれこれ論じてみてはものの、結局、音楽というか歌ひとつのほうが雄弁であったという話ではある。
でも、言葉と音楽(歌)の関係についてかなり深いところに迫っていたような気がする。
私の訳は、かなり元の歌から離れている。隠喩と直喩の違いを歌に入れたりすると大変なので、「たとえ」という言葉の範囲におさめてしまったのだ。
でも、教育テレビ的でもあり、ちょっと気に入っている。

♪メタフォラ
たとえば言葉が心を 入れる箱なら また
たくさんの愛を 送るだろう
「喩え」は私の知らない 場所へと続く 穴
たくさんの音を 響かせる

心に秘めた思い超えた 詩人の言葉が重なれば
まるであたかもちょうどそれは
ぴったりすぎるほど
入らない そこから 思い溢れ

きわめてありふれたものが
鮮やかに形変える
喩えるのさ もっとたくさん
言葉の力は メタフォラ

黒魔術? ブードゥー?

例によってジョアン・ジルベルトの大好きなアルバムから英語の曲。
昔、アメリカに留学してたときに、よく口ずさんでた記憶がぼんやりとある。
しかし、私はコール・ポーターのことはまったく知らない。

ユー・ドゥ・サムシング・トゥー・ミー
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/something.mp3

今私は君に溺れているの?
教えてくれ
どんな魔法使った?
君に夢中
黒魔術か ブードゥーか
いいよ 君になら
呪われてもいい

酔っ払いと綱渡り芸人

チャップリンの「スマイル」にインスパイアされてジョアン・ボスコがつくったとか、ブラジル軍政下の圧制をエリス・レジーナが劇的にうたったとかで、わりと有名な曲だ。

ジョアン・ボスコ「酔っ払いと綱渡り芸人」
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/bebado.mp3


街の灯(あかり)消え 喪服の
赤ら顔のあいつ まるでチャップリン?
いつも千鳥足で踊る 星たちの光も 飲み尽くして
雲よ 赤い血に飢えた 人々の痛みは 足りぬか?
まだ苦しみは続くの? 酔っぱらいは踊る
夜明けは来ない meu Brasil

遠く離れたどこかに
あなたは連れられ 愛する人よ
きっと戻ってくるよと 気高き母たちは涙ふいて
心 突き刺す痛みは どこかへ導くの? 希望は
目の くらむような高みに 架けた綱の上を 歩いてゆく
今 綱渡り芸人は 命がけで歩く 前を向いて

かなり忠実に訳したつもりだが、それでもこの比喩的な表現には若干の説明が必要だろう。
酔っ払いは当時のブラジルを牛耳っていた軍部、綱渡り芸人はそんな社会で危なっかしく生きている国民を表現しているようだ。
そして、どうしても訳せなかった単語もある。
「拷問」は、うまく歌にすることができなかった。
でも、「どこかに連れられた」人々は拷問を受けて血を流し、それを雲が吸い取ってる、というような禍々しいイメージなのだから、これは不誠実な訳かもしれない。
私の力不足の問題か、日本語の響きの問題か、あるいは他の問題か。
なんにせよ、ちょっと悔しい。

サムライさむらい

先月の国立・奏ライブでご一緒させていただいた杉山茂生さんが弾き語りしておられた、
ジャヴァンの「サムライ」という曲。カッコいいなあ~と思って、私もやってみた。
とはいえ、いかにも地力がないと貧相になってしまう、そういう種類の曲ではある。
そのうち多重録音をがんがんやってベースやホーンも入れて派手に誤魔化したい。

サムライ Samurai
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/samurai.mp3

歌詞のほうは結構ばかばかしくて気に入っている。

愛、思いは報われぬのか?
愛、何ゆえ 心は生かさず殺さず
愛、すなわち誠の心
愛、いつしか志も届くのなら
光、照らす 心の奥 それはまるで 戦う 愛の力
跪くだけさ あなたを愛してるよ サムライ
負けて幸せ 降伏するよ

国際語としての「サムライ」というのは、まあこんな感じかな~と思う(テキトー)。
原詩は「愛」が強力なサムライで「それに喜んで仕える」みたいな感じだが、
私は例によってもう一歩思い切ってさらに情けない感じにしてみた。

カンデイアス

世の中には難曲と感じられるものが結構あるが(少なくとも私にはそうだ)、これもそのひとつだった。
エドゥ・ロボ「カンデイアス」
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/candeias.mp3

歌詞も、なんだか最後のところで妙に幻想がかってしまい、迷子になる。
「とにかく幻想的って感じかなあ」といい加減に思いながらつい「まぼろしの……」と訳した。
詩人であれ詩の訳者であれ、これは反則というか、恥ずかしいので普通はやらない。

愛する場所 あなたのカンデイアス
愛するあなたがいるから
離れ行く土地に未練はないよ
懐かしい思い出話もないし
シダの葉の揺れるあの浜に戻る
輝ける月の 真っ白な光照らす
あなたの透明な瞳のなかには
あるのさ 望むもののすべてが

愛する場所 あなたのカンデイアス
愛するあなたがいるから
離れ行く土地に未練はないよ
懐かしい思い出話もないし
今すぐ帰ろう あの遠い場所が
どこにあるのか 波間を揺れる船
白い巡礼は 幻のバイーア
白いろうそくの 幻はバイーア