前にも確か光文社古典新訳文庫のすばらしさについては書いた気がする。
今回も、その点については変わらない。こういうチャレンジングな仕事を続けてほしいと祈るばかり。
川村湊訳『梁塵秘抄』
ときに原詩を逸脱してでもという現代的な訳。そして原詩と解説を読み合わせれば、なんとなく詩が伝わってくるという素晴らしい仕組みである。
版元および訳者には最大限のリスペクトを表明しつつ、とても残念なのだけど、肝心の訳詞はあまり好きになれないものが多かった。
それが訳者の目指したという「歌謡曲っぽさ」ゆえなのか、全体に言葉がオヤジすぎるからなのか、私に詩を味わう才能が足りないからなのか、あるいはそもそも原詩が好きじゃないのか、理由はよくわからない。
ただ、解説などを読むと、やはり訳者の意図や狙いは正しいと思える。
そして、自分ならこう訳すなあ、などと考えながら読める本はそうあるものではない。
ちょうど同じときに買って読んだこの本はまさに、その「なぜ好きになれないか」を問題にしたような本。
JLボルヘス『詩という仕事について』
原題は英語(元は英語の講義らしい)で、This Craft Of Verse(詩というものづくりについて)。
逐語訳と再創作の両方が力をもつことを述べた詩の翻訳についての章など、「なぜ詩は詩になったり、ならなかったりするのか」という謎について書いたものといえる。
もちろん、明快な答えがあるわけではない。最後まで詩は謎に満ちたクラフトでありつづけるわけだ。
逐語訳という考えかたは聖書の翻訳から始まったと考えています。……聖書の実に見事な翻訳が行われるのを見て、人びとは、外国風の表現のなかにも美があることを発見し、そのように感じ始めました。
インド人は古代哲学の用語を今日の哲学の新しい表現に翻訳するのですが、これは素晴らしいことです。これは、人が哲学を信じるという、あるいは詩を信じるという、そして昔美しかったものは今も美しくあり続けることができるという、そうした考えを保証するものです。
そんな訳で、つぎはこれを読んでみる。
ホイットマン『おれにはアメリカの歌声が聴こえる 草の葉(抄)』