サンバ二態

楽しさと悲しさ、カッコよさと滑稽さ、相反する2つが同時にあるのがサンバであると、
Desde que Samba e Samba(サンバがサンバである所以)
という歌はうたっているように思う。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/desde.mp3
Brasil Pandeiro(ブラジル・パンデイロ)のような、ひたすら愉快そうな曲でも同じだろうか?
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/pandeiro.mp3
同じであってほしいと私は思う。

課題となっていた2つの曲を録音してみたが、それこそ、いいんだか悪いんだか……。
近所の工事現場とか、小鳥の鳴き声、同居人がパソコンを叩いている音とかも入ってます。

ゴージャスなあの娘のサンバ

このところ、ひたすらこの曲を練習している。
かなり近所迷惑なことだろう。ごめんなさい、ご近所のみなさん。
そして、同居している人はさらに迷惑である(涙)。

というわけで、一区切りつけて録音した『E Luxo So ゴージャスなあの娘のサンバ』です。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/eluxo.mp3
この曲は、私がギターを弾きはじめたころからやりたくて、何度もチャレンジしたのだけど、
いつも最後のところのプララカイカイカイのところで訳がわからなくっていた。
楽譜をみても、全然理解できなかった。
まあ、今回のが「正解」かどうかはまったく不明ではあるが、とりあえず私はこんな感じでいこうと思う。

「E Luxo So」
ほら、あの子が踊るサンバ いいでしょ?
こんど、一緒に踊らないか いいでしょ?
ああ、輝いてる 笑顔が
もう とにかく夢中 ゴージャス あの子のサンバ

ほら、あの子が踊るサンバ いいでしょ?
こんど、一緒に踊らないか いいでしょ?
この 心に忘れてた 感じた
あなたのすべて 大好きなブラジルの
今サンバが はじまったから おどろうかな?
今サンバが はじまったから おどろうかな?
わき上がるリズムが あなたにも聞こえるかなあ

語り物の魅力

ときどき、たぶん二年に一度くらい「邦楽ブーム」みたいなのがやってくる。
もちろん、あくまでも自分のなかだけ、「マイブーム」のお話だ。
今回きっかけとなったのは、『〈声〉の国民国家 浪花節が創る日本近代』という本。
「国民意識」を鼓舞しながら、日本という近代国家の誕生を祝うかのように大流行した浪花節を論じた刺激的な本だ。

そういえば、浪花節って苦手だよなあと思いながらも、youtubeやCDでいろいろと聴いてみた。
ほとんど世界観を共有できぬままにも惹かれるのは、やっぱりこれが音楽と言葉のあいだに横たわる「語り物」という領域だからだろう。

当時の人々が、たとえば桃中軒雲右衛門のなんとも表現しがたい独特の声に耳を傾けながら、あるいは自分でも一節「唸って」みるうち、ある種の思想や帰属意識が身体化されていったというのは、まあわからないでもない。
しかし、気味の悪い話ではある。
冗談めかして今の時代で無理に譬えるならば、EXILEの踊りを真似て鏡に向かっているうち、いつのまにか若者みんなが皇居前で踊っていた、みたいな話。
しかし、もちろんそれが絶対にありえないこととは言えない。
かつて、私たちは「東京音頭」を夢中になって踊りながら、戦争へと突入していったこともあるのだから。

さて、浪花節がどうもしっくりこないなか、同じ兵藤裕己氏の『琵琶法師―“異界”を語る人びと』も読んでみた。
というか、まず本のオマケについてくる「最後の琵琶法師」たる山鹿良之の演奏に衝撃を受けた。爺の魅力がすごいのである(笑)。
そんなわけで、今はこのCDに夢中である。

私のもっとも思い上がった野心は、新たな日本の語り物のスタイルを確立することかもしれない。
もちろん私には音楽的才能も文学的才能も欠けおり、いつか……と夢想するだけなのだが。
それにしても、一体何を語るというのか?
全然、見当がつかない。
このCDのなかでいうと『道成寺』が近いような気がする。たとえばこれを携帯小説みたいな感じにアレンジしたらどうだろう。
さらにカフカのアフォリズム(掟の門)とか、テレビの「すべらない話」みたいな笑いの要素を少し入れるのはどうだろう?
いずれにせよ、現代は忙しい時代なので、少し短くする必要があるだろう。
そんなわけで、夢を見るのは楽しいのである。

*追記*
木村理郎『肥後琵琶弾き 山鹿良之夜咄―人は最後の琵琶法師というけれど』もよい本。上の『琵琶法師』、DVDは素晴らしいが本としてはやや抽象的すぎる気もする。

モーホに響くアヴェ・マリア

サン・パウロは低湿地に貧しい人が住み、リオは水のない丘(モーホ)に貧しい人が住んだということらしい。でも、ブラジルは成長を続けているし、オリンピックに向けてリオも変わるだろう。
仮に「天国からはちょっと遠ざかる」としても、それは基本的によい方向であるはずだ。

そんなわけで、モーホのアヴェ・マリアを訳してみた。

貧しい人たちの街 僕らのあのモーホ 住めば都
華やかな幸せはないけど 丘にのぼれば 天国も近い(天国も見える)
朝焼けも 夕暮れも 美しい
輝く空 鳥たちも歌う
丘には祈りの声が響く アヴェ・マリア
丘には祈りの声が響く アヴェ・マリア

ローカル線はゆく(ヴィラ・ロボス)

ヴィラ・ロボスの「ブラジル風バッハ」に挑戦してみた。
とはいっても、もちろん、ちっともクラシックじゃない。
ボサノヴァでもないし、一体これは何なのか。
ちょっとフォークソングぽいか?

♪ローカル線はゆく(付:大糸線はゆく)♪

走れよ電車 ローカル線よ
夕暮れ近づく 田舎の街を
どこまで行こうか? 明日がくれば
夜空の向こう 山越えて 谷越えて
どこまでも乗せて行け 人生と歌を乗せ 行け

走れよ電車 大糸線よ 梓川渡り 安曇野を行く
夕暮れに浮かぶ 有明の山
大町、白馬、南小谷、糸魚川
どこまでも乗せて行け 人生と歌を乗せ 行け

私は子どものころ、結構鉄道が好きだった。宮脇俊三なんていう人の文章を読んで、「国鉄全部乗ってやろう」なんて野望も抱いたものだ。
そんなわけで悪ノリして、思い出深い九州の九大線とか地元の西武新宿線とかも登場させようかと思ったが、結局ちゃんと出来たのは大糸線だけだった。
この曲はたぶん著作権も切れているんじゃないかと思うので、鉄道好きのみなさんがこの調子でどんどん作ってくれると嬉しいなあ(笑)。

(ヴィラ・ロボスの名曲だが、私はエグベルト・ジスモンチのヴァージョンで親しんでいた。
歌詞の存在を知ったのはごく最近だ)

Feitico da Vila (ヴィラのこだわり)

私は結構曲を間違えて(というかいい加減に)覚えているので、そのまま日本語をつけたりすると、原曲から遠くかけ離れたことになったりする。
それはそれで面白いからいいじゃん、とこれまたテキトーなことを思ったりもするが、あまりに違いすぎると自分でも気持ち悪くなることがある(笑)。
なかでも「Feitico da Vila (ヴィラのこだわり)」と「ブラジル・パンデイロ」は気持ち悪いので、修正したいと思っている。
しかし、メロディに合わせて日本語まで微調整しなければならないので、これはなかなか苦しい作業だ(完全に自業自得である)。
ここでは、ようやくまあなんとか形になった「Feitico da Vila (ヴィラのこだわり)」を録音してみました。
なんか、出だしがものすごく不安定ですが(笑)、なかなか味わいのある歌詞なので、ぜひ聞いてください。

ところでこの訳は、どちらかというと「部分訳」であり、難しいところ、分からないところは省略している。
いろんな意味で語るべき内容が多い歌詞らしく、ネットにはカエターノ・ヴェローゾが内容を講義(?)しながら歌っている下のような動画もある(ブラジルの人種問題についてらしい)。
ポルトガル語に堪能な方、ぜひ聞き取って内容を私に教えてください!
もしかすると、また訳を変えなきゃいけない事態になりかねないけど……。

100曲目?

恥ずかしい話だが、ときどき「これまで何曲訳したんだろう?」と思って数えてみたりする。
途中でボツになった曲もあるし、どう考えてもボサノヴァとは呼べない曲もあり、そもそも数ははっきりしないのだが、このあいだ数えたら99曲あった。
それで、「次は100曲目にしよう」と思った次第。
意外にそういう節目が好きなのかもしれない。

さて、それなら100曲目はやはりジョアン・ジルベルトのレパートリーにしようと思い、次の3曲を候補とした。
Ave Maria no Morro (きっと詩が美しいにちがいない)
Morena Boca de Ouro (いかにもジョアンらしい曲)
Eu Sambo Mesmo (大好きな曲)
結局、ひとつめと3つめはなかなかうまくいかないので、2つめに集中した。
これは素敵な女性の踊る姿を歌いながら、いつのまにかサンバ讃歌になっているようだ。
かつ、追いかけても決して自分のものにできない感じであり、この凄いようでどうでもいい節目には、ちょうどいい気がしたのだ。
しかし、最後のところでかなり苦戦してしまった。

黄金の口のモレナ Morena Boca de Ouro

モレナとびきりの可愛い子 笑顔も輝いて
見たことがないような
ジンガ踊りはまさに サンバ 君が好きさ
誰もが振り向くその姿 男たちの悩み
聞いたことがないような ジンガ魔法のリズム
サンバ どこへ行くの
胸の鼓動 パンデイロ
まるで奇跡のサンバ奏でる
サンバ君が誘い サンバ君は逃げる
アモール 愛はまた生まれる
そしてサンバは続く 心奪い 傷つけて
モレナここに君を愛し 見つめる 哀れな僕がいる

いまだに、「そしてサンバは続く」は「そしてサンバよ続け」のほうがいいかな、
などと思ったりするし、あちこちの「てにをは」もピシっとこない。
もしかしたら、かなり失敗作なのかも。

付け加えると、「ジンガ」は「千鳥足」「揺れ」「フェイント」。
サッカーやダンス、音楽の「奥義」かもしれないもの。
女性も音楽も永遠に謎ということにして誤魔化し、私の人生も続くのである。
いや、やっぱり「続け」にしようかな……。

フェミニーナ

長年の課題だったジョイス女史の「フェミニーナ」の訳、ようやく一応録音できた
今回は、ここにちゃんと歌詞を書いておこう。

ママ、大人になったら あのフェミニーナ 女らしさ私に
分かるときがくるかな?
あなたは笑った このフェミニーナ
長い可愛い 笑顔だけじゃないのと
紡いだ糸が切れたら 大きな空へと飛び立つ

ママ、あなたが教えた このフェミニーナ 女らしさ私が
私であることだと
終わりと始まり 同じものなら 長い道のどこから
どこへ行くの私は?
世界のご馳走並べ テーブル燃やしてしまう

この歌は彼女なりの「フェミニスト宣言」だと思うので、訳していて緊張した。
もう十何年も前のことだが雑誌のライターとして彼女にインタビューをして、「フェミニストとして尊敬しているのは誰ですか?」と質問したことがある。
答えは、「お母さん」。
そのとき私は、この歌の意味をちゃんと考えずに聞いていたのである。
そういえば彼女の自伝にも、この素敵なお母さんは出てくる。

大きな愛

ヴィニシウスの詩は大袈裟なのが多いが、これもそのひとつだと思う。
抽象的で、それこそ「偉大」な感じもするが、私のようなだらけた人間には、やや恥ずかしいと感じられることもある。

大きな愛(O Grande Amor)

この曲はジャズ・ミュージシャンに人気があるようだ。
ブラジル大好き、というタイプのボサノヴァ・ファンにとっては、スタン・ゲッツのあの演奏が思い浮かんでしまうのかもしれない。
いろんな意味で私には縁遠い曲だったのだが、ずいぶん前にぜひ訳してくれと言ってくれた方がいて、課題となっていた。やってみると、結構いい曲だなとも思う。というか、相変わらず私の演奏はあちこちでいい加減で、ほんとに申し訳ないです。

ポエジーは悪徳につながっている

新しく訳した曲をふたつ。

Que Reste-T-Il de Nos Amours(I Wish You Love)

古いシャンソンらしい。私は例によってジョアン・ジルベルトから入ったが、
なんか暗い歌だなと思っていた。というか、私が真似すると妙に陰気になってしまう。
フランス語でうたっているのを聴くと、意外にそうでもない。
こういうふうに、カヴァーのカヴァーをするとき、原曲に戻らないとどうしていいか分からないということはよくある。

Linda Flor

これはいまだによく分かっていない。
禁断の恋を可愛く歌うエロさ、みたいな感じかと思ったのだが、まったくの誤訳かもしれない。
この歌の意味や背景について、知っている方はぜひ教えてください。

本を一冊。
私にとっては珍しい本を読んだ。佐藤和歌子『角川春樹句会手帖』。
なかなか面白かった。詩というものの正体を何となく見たような感じもする。それはけっこう俊敏な筋力みたいなものだし、もしかしたら音楽もかなりそうだろう。詩は善良さより、悪徳との親和性が高いのか。私としては、できれば善良路線を進んでいきたいんだけど、そんなことではだめかもしれない……。
ま、だめでもいいけど。