韓国を旅する司馬遼太郎

昔から司馬遼太郎という人にはやや苦手意識がある。
『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』なんかの文体や価値観にどうも馴染めなかった。やたらに人気があるので、それに対する警戒もあったかもしれない。
だから、韓国の紀行モノを探していて手にとった『街道をゆく』が意外に面白く、済州島編、対馬・壱岐編まで読んでしまったというのは、自分でもちょっと意外な展開だ。
文体など鼻につくところはもちろんあるが、それなりにバランスはとれているし、興味深いエピソードがバランスよく紹介されている。金達寿や姜在彦といった在日の文化人らが魅力的に描かれているのもいい。朝鮮文化の基層みたいなものと儒教社会のあり方を整理する視点も、私にとってはひじょうにわかりやすかった。
とはいえ、日韓の歴史というやつはどんな風に書いたって誰かから非難されるという厄介なものであることは確かだ。私が「バランスよく」などと言ったところで、冗談にしか聞こえないかも。あるいは、これらを読んで司馬遼太郎の「隠れた朝鮮蔑視」が見えるなどと言われれば、まあその通りなのかもしれないし、そういう次元でいえば私にも当然あるだろう。私としてはそんなことよりも、日韓を船で往復する愉快な旅を夢想しているところ。結構、たくさん航路があるんだなあ。対馬にも行ってみたいし、でもやっぱ関釜フェリーとフグとエイの旅か。


地図はフェリーで海外旅行へ行こう!より

ところで、この「街道をゆく 壱岐・対馬の旅」のなかで壱岐に伝わる愉快な豆腐譚が出てくる。豆腐が病気になり、それを知ったダイコンとゴボウとニンジンが見舞いにいくというような話だ。途中は省略するが、最後に豆腐が「しかし私アもう、もとのまめ(健康)にはなれまっせんでつせう」と泣き出す。ここから、日韓の豆腐事情について調べるあたりも、ちょっと楽しい。
韓国のドラマなどには、刑務所に豆腐をもって迎えにいくというシーンがある。これはどうも「豆腐のように真っ白になって出直せ」という意味のほか、「二度と監獄に戻らないように
(豆腐が豆には戻れないように)」という意味もあるらしい。だとすると、まめ=健康は日本起源ぽいが、豆には戻れないというのは韓国起源かもしれない……。

街道をゆく 2 韓のくに紀行

街道をゆく 13 壱岐・対馬の道 (朝日文庫)

ミュージシャンのようなサントス・デュモン

飛行機とは何か、飛行機を「発明」したのは誰かという議論はすごくむずかしそうだ。
子どものころライト兄弟の伝記は読んだが、熾烈な訴訟のことはあまり書いてなかったように記憶している。もちろん、リチャード・ピアースなんて人のことは知らなかった。
そして今、あらためて彼らの写真を見ると、なんだかお友だちになれそうにない気がする。

サントス・デュモンの話で感動するのは、それがまぎれもなく「空を飛ぶこと」の話であって、特許や競争、ビジネスをめぐるあれこれではないことだ。
秘密主義のライト兄弟とは反対に、技術や情報は公開し、共有することが進歩にとって重要だと考えた。
飛行船、飛行機、そしてヘリコプターへ。それはまた愉快なストーリーやかっこいいスタイル、あるいは美しさのあれこれでもあった。
サントス・デュモンならやはり、今話題のあの醜い飛行物体を拒否しただろうか。それ以前に、飛ぶ力を戦争に用いること自体を嫌ったはずだ。
戦争にはそれほど縁のないブラジルだが、飛行機は内戦でしっかり使われた。サントス・デュモンの自殺には、そのことに対する絶望が関係しているともいわれる。

おそらく、飛行機と音楽の歴史には少し似たようなことがいえるだろう。
かつて人々は、音楽が誰のものかということにそれほど強くこだわらなかった気がする。
ブラジルは今も、いい歌を分かち合うのが上手だ。だからこそ、歴史的にはサントス・デュモンと同じく結局「トク」はしなかったが。
ここから先は、あまり書きすぎないほうがいいかもしれない。
サントス・デュモンの写真は、飛行実験も野外コンサートみたいだで、ある意味でどれもミュージシャンみたい。
なかでも大好きなのは、空を飛ぶ練習なのか、ものすごく高い特注の椅子に座って新聞を読んでいる写真だ。

ブームは繰り返す

多くの人と同じように、私も数年前から韓流ブームのなかにいる。
ドラマを見て、音楽を聴いて、語学を勉強して、本を読んで、料理や酒も楽しむ……。そんな楽しいあれこれについては、まあ急がずにそのうち書こうと思う。
そしてついに先日、韓国旅行へ行くことになり、ひさびさに『地球の歩き方』なんぞ買って飛行機のチケットまで買ったのだが、事情によりそれは延期となった。
思い出してみると、韓国の『地球の歩き方』を買って結局行かないのは、これで2度目である。十数年前、私はまだ会社員だった。
そのときは、韓国の伝統芸能とか祭りみたいなものが面白いから、ぜひ旅行しなさいと勧められた。
すっかりその気になっていたのだが、いつのまにかマイブームは去っていった。今回は、以前とちがって韓国への興味を持続させる餌がひじょうに多いので、たぶんこのブームはもう少し長く続くと思う。そして、3度目の正直できっとかの地をきっと訪れることができるに違いない(そんなに大げさな話ではない)。

ところで当時心を惹かれたものとは一体何だったのか、いい加減なものでよく分からない。
たぶん、パンソリだったり、サムルノリだったり、あるいはクッと呼ばれる巫俗儀礼?のようなものだろうか。今、あらためてその辺のCDを聴いてみると確かに格好いいし面白いのだが、物足りない部分もある(こういうのは実際、その場にいるといないでは大違いだろうし)。
音楽でいえば、今のK-POPともちがう、たぶん両者のあいだにある広大な領域をもう少し知りたいと思っているところだ。

野生の探偵たち

ずいぶん昔、大学生のころ。私はメキシコシティのカフェに座って本を読んでいた。
若いイケメンの兄ちゃんが声をかけてきて、何を読んでいるのかと問う。私は本の表紙を見せる。
たしかそれはオクタビオ・パスが愛について書いた評論で、兄ちゃんはそんなものはつまらないぜという顔をする。
「それよりカスタネダを読みなよ。僕の人生を変えた本だ」
彼はそう力説して、すたすたと行ってしまった。

当時、私はメキシコの詩人についてのインチキな論文を書いて卒業しようとしていた。カスタネダという名前には聞き覚えがあったが、どんな人かは知らなかった。
日本に帰国してから私はカスタネダのドン・フアン・シリーズにはまり、だんだんメキシコ文学なんかどうでもよくなってきた。
以上、もしかしたら私の人生を狂わせたのかもしれない、しかし比較的どうでもいいエピソードだ。
20年も経ってみると、かつての自分やその兄ちゃんは、かなりイカれた感じに思い出す。
たぶん、客観的には今の私のほうがイカれているかもしれないが、まあ年齢というのはそういうものなのだろう。

ロベルト・ボラーニョ『野生の探偵たち』のメキシコの若い詩人たちへの視線は、いわばイカれたものへのフェティッシュな愛なのかもしれないが、上下巻にわたりここまで大量に登場してくると、少しうんざりしてくるのも事実だ。この作家に興味があるのなら、まずは普通に面白い短編集『通話』をおすすめする。
とはいえ、確かに印象的な場面はいくつかある。オクタビオ・パスの名がさんざん言及された後、本人もちょっとだけ登場する。その頃にはフィクションかフィクションじゃないかはかなりどうでもよくなっているし、登場人物はことごとく狂っているんじゃないかという気がしてきている。
こういう長編小説は、読み終わってほっとしたのか、いい作品なので感動したのか区別がつかないことがある。

ファドとボサノヴァ

ちっともタイムリーじゃない話題で恐縮なのだが、ずいぶん前に小野リサがポルトガルでファドを歌う、という番組をやっていて面白かった。
最初はちょっとした紀行モノかなと思ったのだが、小野リサが自分もファドを歌ってみると言い出したあたりから、おかしな雲行きになる。彼女は大きな声で歌うことに対して抵抗があるし、ストレートな感情をそのまま表現するのも苦手だ。そんなんで大丈夫なの? と心配していると、まったく大丈夫じゃないという実にスリリングな番組だった。よく引き受けたなとも思った。

ここで苦しい言い訳をしておくと、私はこの人をボサノヴァの第一人者として、心から尊敬している。ただ、残念ながらまったく興味がなかった。それはないだろうと自分でも不思議なのだが、左耳から右耳へただ通りすぎていく感じだったのだ。

さて、番組に話を戻すと、彼女はボサノヴァというのがむしろ感情を抑制することで他者に伝えるスタイルなのだというようなことを説明していて、私も確かにそうだと頷く。
しかし、小野リサの悪戦苦闘ぶりを見ていると、これはちょっと変だぞとも思えてくる。たとえば、ブラジルでボサノヴァを歌っている歌手たちだったら、ファドだってたっぷり演劇的に歌うだろう(もちろん、ファドは演技じゃなくて本当の心だ、という人もいるだろうが)。抑制するというのは、やはりその奥から溢れてくるものがあるからこそなのだし。
小野リサ自身は、ファドの叙情性に日本の演歌なんかに通じるものがあると感じていたように見えたが、私はファドの歌えない小野リサにむしろ日本人の心を感じた。そして、耳に入ってこないこととも関係がある気がした。もちろん、ちょっとひねくれた感想ではある。

さて、ポルトガル人の前でファドを歌うという試練をとりあえず終えた小野リサが、最後に弾き語りでブラジルの歌をひとつ披露した。それは本当に美しい歌で、いい演奏だった。たぶん、それを聴いていたファドの歌手(小野リサにファドを教える役割だった)も思わず涙が出そうになるくらいに。私は彼女が素晴らしいアーティストであることを、はじめて理解した。
アーティストとしての葛藤や意地、ブラジル育ちの日本人というアイデンティティの危うさ。そういう繊細なものを、これほど飾らずに見せてくれるドキュメンタリーというのも、ちょっとすごいと思った。

ある女流詩人伝

池内紀『ある女流詩人伝』

ユーリエ・シュラーダー。ずいぶん前にドイツでちょっと風変わりなエロチックな詩を書いて新聞に発表したりした人らしい。
魅力的だがどこかピントがはずれた感じは、たぶん定型詩という伝統に忠実だったせいもあるだろう。もちろん彼女の人格的な魅力も。
言葉が詩になるとき、一体何がそこで起きているのか。一人のごく平凡な詩人の人生を通してそれを描いた素敵な本だ。複雑な文学論とか、破天荒で偉大な詩人の人生のなかにはない何かがあって感動してしまう。
ちょっと忘れ去られたかけた、そしてものすごく偉大というわけでもない人々の文章を「再発見」して魅力的に紹介するのは、池内紀の得意技?のひとつだ(もちろん訳もいい)。早川良一郎、そしてリヒテンベルク先生……教えてくれてありがとうございます。

 

おひっこし

ブログ、こちらに引っ越してきました。

最近、なんとなくgoogleやfacebookへの依存をなるべく減らそうと思っていますが気づいたら、なんとブログまでgoogleだった……。
それとはあまり関係ないですが、長らくお世話になったso-netのホームページも閉鎖することにしたので、いろんなものをひとつにまとめてしまった次第です。
「調子外れな日々」というタイトルはわりと気に入っていました。
今後も、どうか調子外れによろしくお願いいたします。

アストロ小唄

ひさびさに新訳です。
宇宙飛行士(アストロナウタ)というタイトルだが、「質問のサンバ」という可愛らしいサブタイトル(?)もついている。
曲調はちょっと暗いが、もしかしたら、こういうのが「いかにもボサノヴァらしい」感じなのかもしれない。
そして、詩としては嫌いじゃないが、歌としてはもう少しシンプルでもいいんじゃないかと思った。

http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/astronauta.mp3

アストロ小唄(宇宙飛行士) Astronauta

あなたは 私にとってもう ただのコンセプト(概念にすぎず)
遠い星空 宇宙飛行士 小鳥のはばたき
糸の切れた凧 風に飛ばされる
風船みたい 宇宙に浮かんだ 小惑星にいるのかな?
夜空に光った あなたはどこかへ 消えちゃった

アフガニスタンのための祈り(マイブームその後2)

ネットラジオにはじまり、その後CDを買ったり映画をみたりして、少しずつ深みにハマりそうにも見えた私のアフガニスタン音楽ブーム。
その後、「日本で唯一の(たぶん)アフガン音楽を専門に演奏するユニット」という「ちゃるぱーさ」のライブも見に行った。
はじめて生で聴くアフガン・ルバーブと、トンバクという打楽器の組み合わせが素晴らしい。
とはいえ、やっぱり私が聴きたいのは歌なんだなあと思った。あと、チープだが妙な魅力のあるダンス音楽(笑)。

その後、聴いていたネットラジオ局が突然、接続不能になるという詳細不明の事態に見舞われた。
ラジオ局は他にもいくつもあるのだが、どうもしっくりくるのが見つからない。もちろん、NATO軍向けの英語放送なんて論外だし。
アフガン大丈夫かなあ、などと思っていると、聞こえてくるのはくそったれアメリカ兵が民家を襲って女性や子どもを殺しまくったとかいう、とんでもない悲惨なニュースばかり。
インターネットラジオどころではない。
そんな具合であって、私のマイブームはいったん終わってしまった。
ネットラジオも、最近はブルガリアの「チャルガ」を聴いてみたり、あれこれ浮気している。でも、何か満たされない思いはある。
とにかく、アフガニスタンのために祈ります。

ラクダが踊る

らくだが好きで「らくだ節」なんていう曲をつくったりしたが、どうやら、らくだは本当に音楽が好きらしい(?)。

モンゴルの映画「らくだの涙」はラクダの授乳を促すために楽士を呼ぶストーリーである。
内モンゴルの映画「長調(Urtin Duu)」にも、ほとんど同じようなシーンがあった。
以上は、フタコブラクダの話。

以下は、アラブのヒトコブラクダについて書かれた堀内勝著『ラクダの文化誌』という本からの抜粋。

その小ざかしこく、さとい耳は主人の声を聴きつけ、その調子に合わせて歩を歩む音楽を理解する耳であった。したがって茫漠とした砂漠を旅する者には、その大海を航海する舟をどのように操ったり、スピードを調整したりするかを知っている必要があった。その操縦術は偏に彼等の声にかかっているのだった。それ故大規模な隊商qaflahには、必らずラクダ群を指揮し、一隊の先頭に立って、その美声で並居る音楽の理解者達を魅了しながら導いていく者、hadin(先導者)がいた。批評の耳をもったラクダの聴衆を相手にするからには、hadinは美声の持ち主であらねばならなかった。hadinの美声がラクダ達をどれ程狂喜させるかは、アラビア、ペルシャの古典の著作物の中に夥多の例を見いだすことができる。

この章だけ、妙にテンションが高いのも面白い。私も、大部のため途中で読むのを辞めようかと思ったところであったが、この「ラクダが踊る」という章だけ妙に盛り上がってしまった。

その一生を砂漠のなかで全うするが故に、静寂に慣れ、聞くものといえば己の砂を踏む音しかないラクダの耳は、それだけに他の音に敏感であった。特に歌声のように旋律をもった音に対しては反応が著しかった。しかもその歌が美しいならば、さらにその反応が増した。彼の歩みは歌の律に自ずと歩調が合っていた。そしてあまりの上手さ、あるいは甲高い声の持つ情緒性はラクダの反応を前述の例に見た如く、恍惚とさせ、有頂点(ママ)に導いてはその果てに動物的本能である性への執着心をも忘れさせる程であった。

砂漠の静寂とらくだの音楽好きが結びついているところも、なんだか面白い。
このような人間とラクダの交流からアラブのキャラバンソングが生まれ、アラブの歌謡や詩はここに深い伝統をもつという話が、さらに展開されていくわけだ。

静けさのなかにラクダの砂を踏む音だけが例えばタタンタタン、タタンタタンと一定の律で響いていたとする。その一定の律は、やがてラクダの上に乗る人間にとっても無意識のうちに一定の拍子となるであろう。ましてや、ラクダに乗れば気づくことであろうが、その歩調に合ったコブの揺れが乗り手をリズミカルに大きく前後に揺すり続けるから、人獣のリズムが両者の体内で一体化してしまう。単調な自然と、昼間ならば太陽の直射と夜ならば暗黒からの恐怖感とを主な原因として、遣る方なき理性はやがて慰め手となるものを本能的に求める。慰めの対象は最早、熱さ或いは恐怖と疲労から深い思索を求めはしない。すでに体の一部と化している一定の拍子に従って。情緒に訴えるものを発散し、理性の浄化を計るわけである。そこで彼等はその拍子に乗って歌い出すのである、恰もストレス解消に肉体的運動が不可欠の生理的現象であるかの如くに。

つい引用が長くなってしまったが、まさに理性を浄化してくれる名文である(笑)。