梁石日『睡魔』

梁石日『睡魔』
(2001年4月、幻冬舎、1800円)

小説のなかの「お仕事」

夜中などになんとなくテレビをつけてみると、TVショッピングというのをやっている。これが結構、楽しい。ぼんやり眺めながら、眠くなるのを待つ。一種の催眠効果があるのだ。とりわ け、アメリカ製のシェイプアップ用器具などの宣伝はよく出来ている。同じ説明を聞くというのは普通嫌なものだが、ほんの少しだけ、それを受け入れるのがコ ツだ。ああ、これは効きそうだなどとぼんやり思ってみる。宣伝文句通り、健康的で引き締まった自分の肉体などを思い浮かべてみる。
梁石日の『睡魔』は、そんな「説得されること」「洗脳されること」の快楽を描いた小説である。と言い切っていいのかどうか、よく分からないが、少なくとも出版社の謳い文句はそんな感じである。
主人公は在日朝鮮人の作家。かつて大阪で事業に失敗し、東京に出てタクシー運転手をす る。その経験を元に二冊の小説を書いたが、お金に困っている。これはどう考えても梁氏本人である。大体、書いている本人を思わせる登場人物が出てきたりす ると、妙にしらけたりするものだが(私小説好きというのは、そのへんが逆にたまらないのだろうなあ)、この本の場合、それが不思議なユーモアとリアリ ティーをかもし出す。
健康マットを売るマルチ商法を冷静に観察し、距離をとっていたはずの主人公が、あれ れ? と思っているうちにいつの間にかどっぷりとはまっていく様子に、それはないでしょうといちいち突っ込みを入れたくなる。大笑いするような場面もいく つかあるし、これは実によくできたユーモア小説だと思う。深夜のTVショッピングを観て笑いながら、いつのまにかちょっと欲しくなっている、そんな時に感じる頭の痺れみたいなものを味わわせてくれる。

ところで、梁石日という人は「仕事」を書くのが上手な人だといつも思う。そもそも出世作『狂騒曲』(『タクシー狂騒曲』ちくま文庫)は上でも少し触れたように自身のタクシー運転手としての経験を踏まえたものだったし、その後もさまざまな小説を書いているが、不思議に、後まで記憶に残っているのは、登場人物が何か「仕事」をしている場面なのだ。
小説が描く仕事には大きく分けると二種類あると思う。
ひとつは、著者にとって関心のないものとしての仕事。これはたとえば恋愛小説などでよく見られる。仕事はおざなりに描き、アフターファイブや休日の生活ばかりが強調される。登場人物の職業はほとんど肩書きのみでしかない。
もうひとつは、職業そのものに関心のある小説。これは、たとえばミステ リーの探偵や警部だとか、企業小説の登場人物などが代表例だろう。歴史小説の登場人物も当然このカテゴリーに入るし、ある特殊な仕事がいわば小説の「主人 公」になることもある。これらの小説では仕事そのものに作者の関心の焦点があるために、登場人物にはまるで私生活というものがないかのような錯覚に陥る。
この二つは対極に位置するが、どこか不完全な感じがするという点で、共通する。
言うまでもなく多くの人にとって、仕事は人生に大きな位置を占める重大 関心事だが、一方でそれはやらなくてはならないから仕方なくしているものでもある。そこに生きがいを見出すことができるのは、ごく僅かな幸運な人々だと僕 は思うし、逆に仕事のことをほとんど考えずに生きる人生というのもそうはないだろう。
梁石日の描く仕事は、まさにそういう仕事なのである。不承不承ではある けれども、必死になって仕事をする。宝くじが当たったら明日にでもやめてしまうだろうけれど、今は仕事のことが頭から離れない。そういう仕事の細部に宿る 「面白さ」は、やっている本人たちの「やり甲斐」などということとはまったく別の話である。そこに人間の営みの不思議さ、無意味さ、愛おしさ、馬鹿馬鹿し さ、などなどが浮き彫りになる。それは小説の焦点ではないかもしれないが、「ちゃんと」描かれている。
今回の『睡魔』では、マルチ商法がその「仕事」であるし、競馬のノミ屋や運転手の仕事も描かれる。前作『死は炎のごとく』はテロリストを描いた小説で、全体的に完成度はやや低いのだが、主人公が消火器を売り歩くシーンがなぜかひどく印象に残った。話題になった『血と骨』でいえば、蒲鉾工場の描写が素晴らしい。ここでは梁石日の小説すべてに触れるつもりはないが、そんな調子である。
小説に出てくる人たちはいつ排便をするのか、などと訳のわからないことを言う人がいる が、僕は別に排便を描いた小説がいいとは思わない。でも、こうした仕事を「ちゃんと」描いた小説というのはもっとあってもいいのではないか。それが少ない こと自体が、この社会のあり方にどこか問題のあることを示しているとも言えそうである。
全然関係ないけど、僕はトイレを探してパニックに陥ったりすることがよくあるので、そのへんのスリルと恐怖を描いた短編は、ひとつくらいあっていいのではないかとふと思った。


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