ミラン・クンデラ『無知』

ミラン・クンデラ『無知』
(2001年3月、西永良成訳、集英社、1900円)

亡命の終わりⅠ

チェコスロヴァキア生まれの作家。『冗談』で世界の注目を浴びるが、「プラハの春」以降、作品は国内発禁になる。1975年フランスへ亡命する。以後パリで作家活動をつづけ、89年の「ビロード革命」後もフランスに留まり、フランス語でも著作を発表している。
クンデラの最新作『無知』は亡命の終わりを描いた作品だ。永遠に続くかと思われたソヴィエト・ロシアの支配が終わりを告げ、それぞれの国で新しい生活を送っていた亡命者たちが複雑な思いを抱きながら故国へ帰る。
男女関係の不条理と歴史の不条理を、哲学的に、文学的に綴ったクンデラの読者にはお馴染みの手法である。『オデュッセイア』を引き合いに出しながら、故国に戻ったオルフェウスは果たして幸せだったのか? と問いかける。
亡命という「物語」はつねに、故国から離れることの悲劇性と帰還の美しさを語ってきたわけだが、いざ亡命者が故郷に帰ればそこに彼らの居場所などありは しない。そうしたエピソードから炙りだされるのは、記憶はあまりにも小さく、経験や知識は常に何の役にも立たない、という人間の本質的な状況である。それ が悲しくも愛すべき人間の「無知」というわけだ。
クンデラが描くプラハに、幻想の入りこむ隙はほとんどない。あっという間に資本主義化したこの街を、ただ客観的に眺めているという感じだ。主人公の目に 一瞬垣間見えた、愛すべき自分だけのプラハでさえ、それが彼女の住むパリへと続く人生の個人的な断片でしかないことをクンデラは意識している。
クンデラにとって「亡命」は明らかに終わったのだ。
「懐かしい」という言葉、そして感覚を愛すること。当たり前のようでいて、ちょっと不思議でもある。何かが「失われた」ことに気づくからなのか、それがほ んの少しばかり「戻ってきた」と感じるからなのか。いずれにせよ、この言葉への甘い幻想を打ち砕いてみせたこの小説は、読んでいて苦しい。それを軽いタッ チで描いてさらりと流してしまうあたり、さすがクンデラと言うべきなんだろうか。
フランスで暮らすクンデラのことを想像してみると、なんだかとても幸せに暮らしている姿が浮かんでくる。人間の「無知」を愛しつつ嘆きつつ、ゆっくりと次の小説の構想を練っているんだろうと。


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