森達也『スプーン 超能力者の日常と憂鬱』

森達也『スプーン 超能力者の日常と憂鬱』
(2001年3月、飛鳥新社、1700円)

ささやかなファンタジー

超能力の話題がホットなのにはもちろん理由がある。賛成派、反対派を問わず、基本的には「科学的な」語彙を使っていると(本人たちが)思い込んでいる点 だ。本当はぜんぜん議論がかみ合わないにもかかわらず、語彙が重なっているために激しい議論がたたかわされるのだ。宗教とか芸術だとこうはいかない。宗教 家や芸術家に「科学的でない」などと言ってかみつく科学者がいたとしても、笑われるだけだろう。
科学者たちは自分たちの「言葉」がこの分野では無法に使われることに苛立っているのだ。結果、状況は惨憺たるありさまである。議論は「科学的」とはほど 遠く、醜い誹謗中傷の応酬になる。これが面白いかどうかはともかく、エンターテインメントとしては確かに成り立つ。同じ穴のムジナが見えがちな政治的議論 などよりは、ずっと盛り上がる。
でも、ほとんどの人にとって、超能力の真偽はもはやどうでもいいことだ。すでに多くの人々は、仮に超能力があったとして、それが自分にとって大きな問題 にはならないということを知ってしまっている。科学者から見れば、物理法則に反する超能力の存在は原子爆弾の発明など問題にならないほどの脅威なのかもし れないが、すでにわれわれは、それが悪用される心配がほとんどなく、その利用はスプーン曲げなど、平和的かつ些細な目的に限られることを「経験的に」知っ ているのだから。
したがって超能力をめぐる議論は、二つの職業のぶつかり合いという以上の迫力をわれわれにもたらさなくなってしまっている。超能力が私たちにまったく新しい世界をもたらしてくれるかもしれない、と感じられた時代はもはや過去になってしまった。

本書は三人の「超能力者」たちの日常を追いかけるTV ドキュメンタリーを制作した著者が、TV製作という現場からこの論争について考えるという体裁をとっている。バラエティーとドキュメンタリーという違いは もちろんあるが、ここまで超能力に対して真剣な態度をとれるのは、やはりTV業界の人間ならではという気がする。もちろん、真剣だからこそ面白いのではあ るが。
結果として、当たり前といえば当たり前の事実にぶつかる。
ひとつは、賛成派と反対派のうち、反対派(おもに科学者たち)のほうに不誠実さが目立つこと。
これはもちろん、超能力の真贋とは関係がない。二つの職業のぶつかりあいと考えれば、想像できることだ。たとえばデパートと小規模小売店舗とか、商社と 零細農家とか。こうした議論自体、科学者にとってはまあどうでもよいのだが、超能力者にとっては死活問題だ。もちろん彼らは真剣である。
もうひとつは、これも周知のテレビ業界自体の不誠実。著者はもちろん少数派の良識派ジャーナリストを演じる。そのジレンマと悩みはひとかたではない。
読んでいてどうも気持ちが悪いのは、結局、こちらとしてはまったく図式が変わらないということだ。表面的に「面白いから」この話題を追うが、「見る側」 はちっとも真剣になれない。どうでもいい話題をテレビが盛り上げ、一部の人々がヒートアップする。テレビを舞台に自分と世界の「無関心」が増大していく感 じがして、気持ち悪いのだ。
「信じるか、信じないか」
ひたすらこの問いをもって著者は超能力にアプローチする。著者は最後まで自分の答えを出さないままに悩む。それがこの本の「面白さ」なのであるけれど も、これだけの分量の文章をそれだけで書くのはちょっと無理があるようにも思える。その真剣さにだんだんつきあいきれなくなってしまう。すでに書いたよう に、「信じるか、信じないか」は一般の人間にとって、もはやどうでもよい問題になりつつあるのだから。
もちろん、超能力という言葉のもつファンタジーとしての力は、まだ残っている。ただ、それはあくまでもささやかなものだ。「信じることも信じないことも できない」を延々とつづったこの本は、もしかしたらテレビを舞台にそうしたささやかな超能力のあり方を考えようとしようとしているのかもしれない。それは もはや科学の枠を超えた力の存在などというよりも、何かを信じることの可能性みたいな、身も蓋もない話に近くなる。
考えてみれば「科学」という言葉自体、高度成長期「ウルトラマン」の頃に比べてなんと夢のない陳腐な言葉になってしまったことだろう。ゲノムであろうが 人工衛星であろうが、今やすべては経済に還元されてしまう。科学者も気の毒なご時世である。スプーン曲げをはじめとする超能力がどこかかび臭く見えてしま うのは、しつこく「科学的語彙」にこだわりすぎたのも原因のひとつだろう(そういえば遠い昔に科学とすっぱり縁を切った(?)占いは相変わらず元気であ る。やれやれ)。
なんだかちょっと悪口みたいになっちゃったけど、現代の受難者としての超能力者という読み方もできるし、業界ぽい話などもいっぱいあって結構面白いですよ。


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