こどもが生まれた 太郎をめぐるあれこれ

1月26日、こどもが生まれた。
性別は最後まで聞きそびれていたので、名前は男女両方のものを考えていた。男なら太郎、これはわりとすんなり。女のほうは苦労した。やや理屈ぽく、きらきらネームぽくもあるものをひねりだし、そのときを待った。
そんなわけで最初から、この子は太郎だったのかもしれない。そういえば年が明ける前、近所にある岡本太郎の墓へ散歩した。偉大な芸術家にあやかろうというわけでもないのだが、太郎といえばまず誰を思い出すかといえば、やはりウルトラマンと岡本だ。まあでも、ポチみたいな、ジョンみたいな、ジョアンみたいな、由緒正しくもありきたりな名前である。
私の父方のおじさんも太郎という。実はこれがひっかかって、最後の最後で迷った。姓はちがうが、同じ名前が近い親戚にいるというのは、どうなのか。そこで、女用の名前が再び候補にあがった。べつにこっちを男につけちゃってもいいのではないか(ノリという名前だった。もちろん、音楽用語だ)。ちょっとイケメンぽくもあるし、きらきらネームが似合うような気もしてきた……。

しかし結局、この子は太郎となった。
みなさま、どうかよろしくお願いいたします。

たろう01
たろう01 posted by (C)ottwaki
たろう02
たろう02 posted by (C)ottwaki

手芸ぽいことをしてみた

おもちゃを買った。
ズーム ストリーミング機能搭載ハンディレコーダー Q2HD
写真だの動画だのを録ることができ、しかも安っぽい機械ばかり増やしてどうするんだとは思ったのだが、USTもやってみたいし、やっぱ音質が大事だよとか、家族もふえるしとかあれこれ理由をつけて自分を騙した次第。
届いてみると、たしかにおもちゃっぽい。とはいえ、乾電池で使える気楽さがいい気もする。さっそく外へもっていくと、鳥の声とかも入っていい感じなのだが、やはり風が気になる。ウィンドスクリーン(風防)がほしいが、専用のは単品では売っていないらしい。そして、(アクセサリセットに入っている)ACアダプターはほしくない。そこで、ちょっと調べてみると自作している方がけっこういるようなので、真似させていただいた。

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100円ショップで買った手袋を切って縫っただけ。いい感じだ。当然、手袋は2つあるので、少し長めにしてケース状にした。

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窓を開けっ放しにしてテキトーに演奏してみた。窓を背にしてやればよかったかな。

アラブ・エクスプレス

無人島の領有権についてはあまり関心がないが、連日伝えられるシリアの惨状には心を痛めずにはいられない。
そんななか、私は六本木で「アラブ・エクスプレス展」を見に行き、その後は付近でクスクスを食べられるところを、などと考えていた。我ながら能天気なものだ。そして、美術館は六本木の夜景をバックにした完全な観光スポット。きらびやかなライトのなか、何か不吉な威圧感めいたものを感じる場所だ。
アートも「ところかわれば」だな、と思う。たとえば、シリアの「処刑場広場」を映した写真がある。解説を読まなければ単なる風景写真にも見えるし、恐らく今となってはそれ以上に悲惨な場所となっているかもしれない。このようにかぎりなく報道写真に近い作品もあれば、抗議運動に近い作品もあり、また政治や戦争と離れた芸術が成り立たないことを嘆く作品もある。私たちのいる場所では、アートはむしろ娯楽や消費、虚栄などに近いだろう。それに慣れきっているので、いちいち解説を読まなくてはならないことが面倒だと思ったりもしてしまうが、これは単に文脈を共有していない異文化というだけのことかもしれない。
もちろん、解説なしにぐっとくる作品、笑える作品もいくつかはある。でも、それを素直に喜べないような六本木の夜であった。

シリアの人々のために祈ります。

ベイルート

上達は錯覚か

松本幸四郎主演のミュージカル「ラ・マンチャの男」が1200回だとかで、その舞台稽古のドキュメンタリーをTVやっていた。私にとってドン・キホーテは特別なヒーローなので、その描き方や解釈にはいろいろ不満はあるものの、松本幸四郎の役にかける情熱とともに、付け眉毛を動かす芸などに感心させられた。
とりわけ印象に残ったのは、中村歌右衛門に言われたという「だんだん上手くなっていると感じるのは錯覚。ずっとやり続けていると、ダメになっていく」という教え。

もちろん、稽古をして上達するということを否定するわけではない。松本幸四郎が練習を続けたであろうことはもちろん、私も他人の演奏などを見て、上達したなあ、よくなったなあなどと思うことがよくある。
でも、この言葉にはっとするということは、きっとそれが今の自分にとっての真実なのだろう。

サウダージと恨(ハン)

以下、すこしメモ的に書いてみる。あまり整理はされていない。

ブラジルでいうサウダージは、いわゆる「懐かしさ」に近いが、自分が本来あるべき場所やともにいるべき人、時間、状態から離れていると感じることではないだろうかとぼんやり思う。
韓国の恨(ハン)についてはもっと分からないが、小倉紀蔵という人が「理想的な状態、あるべき姿、いるべき場所への『あこがれ』と、それへの接近が挫折させられている『無念』『悲しみ』がセットになった感情」と説明しているらしい。

こうして並べてみると、ほとんど同じだ。もしかしたら、程度の問題とすら言えるかもしれない。
共通するのは日本語の「懐かしさ」「恨み」がより一人称的、個別的あるのに対して、サウダージや恨は他者と共有できるものとして一種の美的概念にまで昇華されていることだろう。
もちろん、どちらがいいという話ではない。サウダージも恨も、月並みになりかねない。
ただ、どちらもより深い感情を共有したいという文化なのだなとは思う。日本文化には、他人の心に近づきすぎないという掟があるように思うことがある。

ミュージシャンのようなサントス・デュモン

飛行機とは何か、飛行機を「発明」したのは誰かという議論はすごくむずかしそうだ。
子どものころライト兄弟の伝記は読んだが、熾烈な訴訟のことはあまり書いてなかったように記憶している。もちろん、リチャード・ピアースなんて人のことは知らなかった。
そして今、あらためて彼らの写真を見ると、なんだかお友だちになれそうにない気がする。

サントス・デュモンの話で感動するのは、それがまぎれもなく「空を飛ぶこと」の話であって、特許や競争、ビジネスをめぐるあれこれではないことだ。
秘密主義のライト兄弟とは反対に、技術や情報は公開し、共有することが進歩にとって重要だと考えた。
飛行船、飛行機、そしてヘリコプターへ。それはまた愉快なストーリーやかっこいいスタイル、あるいは美しさのあれこれでもあった。
サントス・デュモンならやはり、今話題のあの醜い飛行物体を拒否しただろうか。それ以前に、飛ぶ力を戦争に用いること自体を嫌ったはずだ。
戦争にはそれほど縁のないブラジルだが、飛行機は内戦でしっかり使われた。サントス・デュモンの自殺には、そのことに対する絶望が関係しているともいわれる。

おそらく、飛行機と音楽の歴史には少し似たようなことがいえるだろう。
かつて人々は、音楽が誰のものかということにそれほど強くこだわらなかった気がする。
ブラジルは今も、いい歌を分かち合うのが上手だ。だからこそ、歴史的にはサントス・デュモンと同じく結局「トク」はしなかったが。
ここから先は、あまり書きすぎないほうがいいかもしれない。
サントス・デュモンの写真は、飛行実験も野外コンサートみたいだで、ある意味でどれもミュージシャンみたい。
なかでも大好きなのは、空を飛ぶ練習なのか、ものすごく高い特注の椅子に座って新聞を読んでいる写真だ。

ブームは繰り返す

多くの人と同じように、私も数年前から韓流ブームのなかにいる。
ドラマを見て、音楽を聴いて、語学を勉強して、本を読んで、料理や酒も楽しむ……。そんな楽しいあれこれについては、まあ急がずにそのうち書こうと思う。
そしてついに先日、韓国旅行へ行くことになり、ひさびさに『地球の歩き方』なんぞ買って飛行機のチケットまで買ったのだが、事情によりそれは延期となった。
思い出してみると、韓国の『地球の歩き方』を買って結局行かないのは、これで2度目である。十数年前、私はまだ会社員だった。
そのときは、韓国の伝統芸能とか祭りみたいなものが面白いから、ぜひ旅行しなさいと勧められた。
すっかりその気になっていたのだが、いつのまにかマイブームは去っていった。今回は、以前とちがって韓国への興味を持続させる餌がひじょうに多いので、たぶんこのブームはもう少し長く続くと思う。そして、3度目の正直できっとかの地をきっと訪れることができるに違いない(そんなに大げさな話ではない)。

ところで当時心を惹かれたものとは一体何だったのか、いい加減なものでよく分からない。
たぶん、パンソリだったり、サムルノリだったり、あるいはクッと呼ばれる巫俗儀礼?のようなものだろうか。今、あらためてその辺のCDを聴いてみると確かに格好いいし面白いのだが、物足りない部分もある(こういうのは実際、その場にいるといないでは大違いだろうし)。
音楽でいえば、今のK-POPともちがう、たぶん両者のあいだにある広大な領域をもう少し知りたいと思っているところだ。

おひっこし

ブログ、こちらに引っ越してきました。

最近、なんとなくgoogleやfacebookへの依存をなるべく減らそうと思っていますが気づいたら、なんとブログまでgoogleだった……。
それとはあまり関係ないですが、長らくお世話になったso-netのホームページも閉鎖することにしたので、いろんなものをひとつにまとめてしまった次第です。
「調子外れな日々」というタイトルはわりと気に入っていました。
今後も、どうか調子外れによろしくお願いいたします。

アフガニスタンのための祈り(マイブームその後2)

ネットラジオにはじまり、その後CDを買ったり映画をみたりして、少しずつ深みにハマりそうにも見えた私のアフガニスタン音楽ブーム。
その後、「日本で唯一の(たぶん)アフガン音楽を専門に演奏するユニット」という「ちゃるぱーさ」のライブも見に行った。
はじめて生で聴くアフガン・ルバーブと、トンバクという打楽器の組み合わせが素晴らしい。
とはいえ、やっぱり私が聴きたいのは歌なんだなあと思った。あと、チープだが妙な魅力のあるダンス音楽(笑)。

その後、聴いていたネットラジオ局が突然、接続不能になるという詳細不明の事態に見舞われた。
ラジオ局は他にもいくつもあるのだが、どうもしっくりくるのが見つからない。もちろん、NATO軍向けの英語放送なんて論外だし。
アフガン大丈夫かなあ、などと思っていると、聞こえてくるのはくそったれアメリカ兵が民家を襲って女性や子どもを殺しまくったとかいう、とんでもない悲惨なニュースばかり。
インターネットラジオどころではない。
そんな具合であって、私のマイブームはいったん終わってしまった。
ネットラジオも、最近はブルガリアの「チャルガ」を聴いてみたり、あれこれ浮気している。でも、何か満たされない思いはある。
とにかく、アフガニスタンのために祈ります。