新しい録音機器 OLYMPUS LS-10

新しい玩具を買ってしまった。
実は仕事に使うという言い訳もあるのだが、最近はあまり仕事もないので、完全に玩具となっている。
高性能である。これを使っていろいろ弾いてみると、演奏上のいろんな欠点が耳につき、大変だ。勉強になる。

今日は雨ふり。
「三月の水」などを録音してみた。

一周年記念ライブなど

<だあしゑんか>一周年記念弾き語りライブのお知らせ。
出演:柳家小春(三味線、唄)、ボサツノバ(vo. g)、OTT(vo. g)
No Charge (オーダー+投げ銭)
15:00 OPEN 16:00~ 
OTT 17:30~ 
小春師匠 19:00~ 
ボサツさん 20:30~ 飛び入り演奏者、募集中

長時間のイベントですが、最初から最後まで参加する必要はまったくありません。 お好きな時間にふらりといらしてビールを飲みながら、音楽に耳を傾け、お店がまがりなりにも続いていることを祝っていただければ嬉しいです。 柳家小春師匠の三味線と唄はもちろん、ボサツノバさんのギター弾き語りは、ぜひ一度みなさんにも観ていただきたい愉快なものです。ライブ終了後は、飛び入りタイムというか、だらだら時間もあります。 ぜひ、お誘い合わせの上、遊びにいらしてくださいませ!!

*入場料などはありませんが、OTT以外のお二人には投げ銭を、あとビールもたくさん飲んでくださいませ。参加自由、出入り自由、ただし予約は受け付けてませんので、席を譲り合いながら、お願いいたします。

さて、私はこれからしばらくライブは少なめにして、改めてちゃんと今までの曲を丁寧にまとめて録音しようという気になっている。
「偽りのバイーア女」
「想いあふれて」
うーん、もうちょっと精度をあげたいなあ……。

だらだら

今回は家でだらだら弾いてる感じを録音してみることにした。
音源はこちら
最初の曲は「胸の振り子」。以下、大体おなじみのボサノヴァです。

*注意 40分以上と非常に長い上、聞き苦しいところが多々あります。ファイルもデカイので、ダウンロードにも時間がかかると思われます。お暇のある方のみ、ちょっと聴いてみましょう。

ファロリート

Farolitoを録音してみた。
ジョアン・ジルベルトの「エン・メヒコ」というアルバムに収録されている。メキシコの歌らしい。
大好きなアルバムなのだが、「不遇の時代」とか表現されるメキシコ滞在がジョアン・ジルベルトにとってどいう意味をもっているのかは、さっぱり分からない。

暇とサウダージ、風邪

景気が悪いと仕事が少ないのは、まあ仕方ないとして、自分の心が少しずつ荒んでくるのを感じる。こういうときこそ、人には優しくし、そして美しいものをつくりたいと思うのだが、そういう邪念がすでに景況感の悪化を示しているのかもしれない。
そして、こうも暇が続くと悪い考えやら風邪やら、いろいろやってくる。
サウダージもやってくる。

『ぼくのサウダージ』
サウダージとは何か、とは説明しにくいのだが、この曲はちょうどぴったりかもしれない。
失われたものへの執着とか欲望が消えた後に残る「何か」なんだろうか。

以下は、読書メモ。

佐藤優『自壊する帝国』『国家の罠』
今まで読んでなかったのだが、ふと文庫を手にとったら面白そうだったので。
特に前者のほうで、ロシアでウォッカを飲みまくりつつ、神学や政治の話をするところなんかが非常に面白い。
これを読んで、昔、私もチェコに行きたいと思って外務省の試験(アルバイトみたいなやつ)に落ちたことを思い出した。

関口義人『ジプシー・ミュージックの真実』
真実とはまた大きくでたなという感じもするが(内容もちょっとそんな感じ)、ディスクガイドなどはとても訳に立つ。

岩波明『狂気の偽装』
心の病という一種のブームを批判しつつ、医療に携わる者としての実感から現場の報告をするという感じ。
中身は、やや中途半端な気もする。

ジャンニ・ロダーリ『二度生きたランベルト』
特にコメントなし。

岩井克人・佐藤孝弘『M&A国富論』
優れた政策提言の書。

観光局のサンバ

バイーアというところがどんな場所か説明するのは難しいのだが、
日本でいえば、那覇と京都を足して二で割った感じといったら、
いい加減すぎるだろうか。

とにかく、サンバにはバイーア礼賛ものが多い。
郷土料理とかお祭りとかの固有名詞がたくさんでてきて、非常に困る。
とはいえ、言っていることは割と単純であったりする。

ドリヴァル・カイミ「君はもうバイーアへ行った?」

この曲を聴くと、ディズニー映画『三人の騎士』を思い出す。
ドナルド・ダックにブラジルの素晴らしさを紹介するジョゼ(ホセ)・カリオカにこのまんまな台詞があるのである。
私もまた、こういうバイーア・ソングの数々に誘われてかの地を訪れた観光客の一人だが、
結局のところ、その素晴らしさは結局よく分からなかった。
もちろん、すごく、いいところなんだけど。

ナショナリストのサンバ

Canta Brasilという曲を録音してみた。

As selvas te deram nas noites seus ritmos barbaros
Os negros trouxeram de longe reservas de pranto
Os brancos falaram de amores em suas cancoes
E dessa mistura de vozes nasceu o teu canto

というのが最初の部分。面白いので、直訳ぎみに訳すことにした。

深い夜の森に響くリズム
黒い肌が歌う悲しみ、涙
白い肌、ささやく恋の歌
まざりあうたくさんの声

サンバの歌詞には、こういうものがけっこう多い。
ブラジル万歳調。しかも観念的、抽象的なやつ。
いくつかは、ボサノヴァのレパートリーとしてもよく歌われる。「ブラジルの水彩画」なんかも、その一例だろう。
ここで歌われている人種の混合は、ほとんどブラジル国家の「公式見解」であり、
たとえていうなら「平和国家、日本」みたいなお題目、理想である。
実際のところ、ブラジルにも人種差別は当然あるわけだが、サンバという夢の世界では、それは消えてしまっているのだ。
私のような日本人がこういう歌に惹かれるというのも、ヘンテコな話ではある。
(たぶん日系人は、この「黒い肌」「白い肌」が生んだサンバの世界に、簡単に入れてもらえないだろう。)
とはいえ、そういう胡散臭さをはらみながらも、こうした愛国サンバの魅力は否定しがたい。
ブラジルは、サンバという大衆音楽の一ジャンル(にすぎない、しかも被支配層の)を、いわば国家のアイデンティティ、象徴として採用した稀有な国だと思う。
このほとんどアクロバティックともいえる出来事は、たとえばジャズやロックをいつのまにか横取り(?)してしまったアメリカの白人と比べると、より際立って見えると思う。
ブラジルの支配層がなんでこんなことをやったのか、私には正直いってよく分からないのだが、このことがブラジル音楽の特別な面白さにつながっていることは、ほぼ間違いないだろう。

ジルベルト・ジル(2)

ジルベルト・ジルの真似はできないと前に書いたが、悔しいので一応やってみた。

Aquele Abraco 演奏&歌 by OTT

「アケリ・アブラッソ」とは抱擁を意味し、リオ・デ・ジャネイロでは別れの挨拶がわりに使われるらしい。
ジルベルト・ジルが故国を追われ、イギリスへ亡命する前に書いた代表曲で、リオという街への愛情がこめられている。
これだけ聞くと、「まあ、いいんじゃない?」と思われるかもしれないが、
やってるほうは、本当に苦しい。なんというか、音楽が「自分のもの」にならない感じなのだ。

参考のために、ご本尊の演奏も。

ちなみに私の妻はジルベルト・ジルについて、珍しくこのように論評していた。
「音楽が簡単に国境を越えるというのは、たいてい嘘に思える。
だが、ジルは確かに越えている」
どこかの偉い評論家が書いた文句みたいで面白いので、書き記しておこう……。

追悼ドリヴァル・カイミ翁

ドリヴァル・カイミ爺さんは、ボサノヴァ・ミュージシャンというわけではないが、
多くの歌がボサノヴァのスタンダードとして歌われている。
「ボサノヴァ日本語化計画」のトップページに変な人形が2体でてくるが、
このうち、ギターをもっているのがカイミ爺さんだ(もう一人は作家ジョルジ・アマード)。

大往生を記念して(?)「Saudade Da Bahia」を訳してみた。
わりとそのまま訳したら、陰気な歌になってしまった。
やっぱポルトガル語で聴いたほうが、いいかなあ。