サウダージと恨(ハン)

以下、すこしメモ的に書いてみる。あまり整理はされていない。

ブラジルでいうサウダージは、いわゆる「懐かしさ」に近いが、自分が本来あるべき場所やともにいるべき人、時間、状態から離れていると感じることではないだろうかとぼんやり思う。
韓国の恨(ハン)についてはもっと分からないが、小倉紀蔵という人が「理想的な状態、あるべき姿、いるべき場所への『あこがれ』と、それへの接近が挫折させられている『無念』『悲しみ』がセットになった感情」と説明しているらしい。

こうして並べてみると、ほとんど同じだ。もしかしたら、程度の問題とすら言えるかもしれない。
共通するのは日本語の「懐かしさ」「恨み」がより一人称的、個別的あるのに対して、サウダージや恨は他者と共有できるものとして一種の美的概念にまで昇華されていることだろう。
もちろん、どちらがいいという話ではない。サウダージも恨も、月並みになりかねない。
ただ、どちらもより深い感情を共有したいという文化なのだなとは思う。日本文化には、他人の心に近づきすぎないという掟があるように思うことがある。


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