ジルベルト・ジル

昨夜、ジルベルト・ジルの来日公演にいってきた。
素晴らしかった、美しかった、楽しかった。
このバンドは、ベースやリズムセクションがすごくて、
その安定感のなかで、ジルは思い切り自由にはじけているように見えた。
音楽が一人の人間のなかからわき上がってくるのを目撃する楽しさ。

もしかしたらジルベルト・ジルという人はあまりにその内なる音楽性が豊かすぎて、
アーティストとしての顔が分かりにくく、日本ではそれほどファンが多くないのかもしれない。
レゲエ好きとかボサノヴァ好きとかサンバ好きとか、
悪しき「ジャンル性」に邪魔されてしまっている部分もあるかもしれない。
実際のところ、今回のライブもレゲエでビートルズやったり、イパネマの娘をやったり、
サービス精神旺盛ではあるが下手すると「余興」に見えなくもない部分が結構、多い。

個人的に、ジルベルト・ジルの曲をよく演奏してみるのだが、
それは非常に難しい。私の能力のなさと言ってしまえば身も蓋もないけど、
この難しさと彼の音楽がもつ特異性は、何やら通じるものがある気がする。
実際、ジョアン・ジルベルトやカエターノ・ヴェローゾの「スタイル」を真似てみる日本のミュージシャンはいくらでもいるけど、ジルの物真似は今まであまり目撃したことがない。

ところで、途中、プレゼンターの宮沢和史を迎えて「島唄」を歌うという、それこそ「余興」があった。
ジルがどんな風に歌うか、興味津々だったのだが、宮沢氏のねっとりとした熱唱により、あまりちゃんと聴けなかったのが残念だ。演奏も、よかったのに。
こういう場合、ブラジルの大物ミュージシャンだったら、
「ジル、僕のつくった曲を歌ってくれて、ほんと感激だよ!」みたいな嬉しそうな顔をして、
その演奏を堪能する「フリ」くらいはするだろう。
日本とブラジルの違いなのか、ミュージシャンの格の問題なのか。
(注:私は宮沢和史が嫌いなわけではありません。彼の歌はよくカラオケで歌うし。強いていえば、歌い方が苦手です。)

アウェイ

先週末はミュージシャンである兄が主宰しているエレクトロニカ系(?)・イベントに出演した。
その名も「ベルリン・カフェ」というこの月一のパーティは、普段、穏やかなマニアたちが最新機器のツマミをいじってニンマリしている、という印象だったのだが、今回は新年拡大版で、まるで東京最先端のクラブイベントみたいなノリになっていた(まあ、大袈裟だが)。
そんななか、へなちょこなボサノヴァの弾き語りを披露することになった私は、完全な「アウェイ」状態であった。
私のライブを盛り上げてくれるいつもの失笑は、もちろんなし。
ろくに演奏を聴いている様子もなく、小さな音はお喋りの渦にかき消えていくのであった(笑)。
ちょっと辛くもあり、気楽にもなった私は、特にどうということもない演奏を終え、次のDJに席を譲ったが、後で聞いてみるとちゃんと演奏を聴いてた人もいて、冷や汗をかいた。
どんな状況でも、手を抜いた演奏をしてはいけないのである。
「アウェイ」の試合は、他にもいろんな意味で「ホーム」の何倍も勉強になった。
たとえば音響面もそのひとつである。
状況に応じた音づくりというのは、やはり演奏者のほうで考えなければならないと思った。
もしかしたら、選曲も間違っていたかもしれない。