ポエジーは悪徳につながっている

新しく訳した曲をふたつ。

Que Reste-T-Il de Nos Amours(I Wish You Love)

古いシャンソンらしい。私は例によってジョアン・ジルベルトから入ったが、
なんか暗い歌だなと思っていた。というか、私が真似すると妙に陰気になってしまう。
フランス語でうたっているのを聴くと、意外にそうでもない。
こういうふうに、カヴァーのカヴァーをするとき、原曲に戻らないとどうしていいか分からないということはよくある。

Linda Flor

これはいまだによく分かっていない。
禁断の恋を可愛く歌うエロさ、みたいな感じかと思ったのだが、まったくの誤訳かもしれない。
この歌の意味や背景について、知っている方はぜひ教えてください。

本を一冊。
私にとっては珍しい本を読んだ。佐藤和歌子『角川春樹句会手帖』。
なかなか面白かった。詩というものの正体を何となく見たような感じもする。それはけっこう俊敏な筋力みたいなものだし、もしかしたら音楽もかなりそうだろう。詩は善良さより、悪徳との親和性が高いのか。私としては、できれば善良路線を進んでいきたいんだけど、そんなことではだめかもしれない……。
ま、だめでもいいけど。

ミニアチュール

しばらく、読書記録を書いてなかった。
面倒なので、面白かったものから何点か思い出して書こう。

ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』
これは、文学部一年生の教科書にしたらぴったりなんじゃないかという、非常によく書けた本。いわゆる読書好きにも、読書が好きかどうか自信をもっていえない人(私はわりとこのタイプ)にも、お勧めです。

小説では、オルハン パムク『わたしの名は紅』。
ちょっと長くて翻訳は読みにくいが、テーマが面白く、かつ一応推理小説仕立てにもなっているので、最後までたどり着いた。


細密画といえば、なんといっても面白いのは山田和『インド ミニアチュール幻想』だろう。ちょっと調べたら、『インド細密画への招待』なんていう新書も出ていたので、さっそく買ってみた。とはいえ、『わたしの名は紅』を読んだ後に眺めたいのは、ペルシアやトルコの細密画である。というわけで思い切って訳もわからず洋書を注文してみた。リスキーだなと思ったが、意外によかった。眺めているだけで楽しい。

もうひとつ映画

先日、気楽な映画をみたいと書いたが、結局ボサノヴァ映画ではなく、『スラムドッグ$ミリオネア』にいってきた。

うーん、いまひとつかなあ。『トレイン・スポッティング』をとった監督という時点で、あまり期待しないほうがよかったかも。実は、これの原作小説『ぼくと1ルピーの神様』は前に読んだのだが、そのときの感想が、「映画化するとよさそうだなあ」というものだったので、きっと面白いだろうと思いこんでしまったのである。

「辛い境遇にある子どもたちの話」っていう意味では、ふたつの映画は少し似ている。
で、ハナ・マフマルバフの映画が、本気でつくりすぎちゃって辛い、怖い、というものだったとすれば、
こちらは、なにか本気さが足りないような、しかも奇跡や物語の力も信じていないような、中途半端さが伝わってくる……。しかし、味にうるさいグルメみたいで、嫌な感じだなあ(私が)。

ジャズとペンギン

こちらはお互いにまったく関係のない2冊。

瀬川昌久+大谷能生『日本ジャズの誕生』
対談本なんて安易に読むもんじゃないと思いつつ、つい買ってしまった。この本が扱う、戦前から戦後すぐにかけてジャズっぽい音楽に惹かれるからだ。二村定一の「青空」「アラビアの唄」、私もライブでやったことがある「南京豆売り」、服部良一アレンジの「山寺の和尚さん」「流線型ジャズ」、そして戦後の笠置シヅ子のブギウギまで。
2人の対談者と同じく、私もときどき、歴史の「もしも」で日本のポピュラー音楽は少し違った形になる可能性があったのではないかと夢想することがある。
そして、踊る、歌うという要素から離てしまった以後のジャズにはどうも興味がもてない。
本としては、まあ資料集という感じだが、色川武大の素敵な文章が引用されていたのが嬉しかった。『唄えば天国ジャズソング』とかいう本らしい。こんど探してみよう。

ちょっと長いけど、引用。

「……二村定一がそこで唄っている「アラビアの唄」というのが、実にまたいいのである。(中略)詩も見事にナンセンスでくだらないが、曲もまた、エキゾチックの安物で、格調などはケもない。誤解されると困るが、くだらなくて、安手で、下品に甘くて、この三つの要素が見事に結晶していて、出来あがったものは下品であるどころか、ドヤ街で思いがけず柔らかいベッドに沈んだような、ウーンと唸ってちょっとはしゃぎたいような気分にさせてくれる。
私にいわせれば、唄とはこういうものであってほしい。変に意味があっては困る。人生に相当するような重い部分があってもいけない。改めて手にとれば実にくだらない。しかしそのくだらなさが昇華されて、現実のくだらなさとはまた別になっている必要がある。
それが何故、命から二番目に大切なものになるのか、そう思わない人にはなかなか説明しにくい」

佐藤克文『ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ』
なんとなく手にとったのは、大好きなペンギンのあまり可愛くない写真が巻頭にあったからだ。
データロガーというさまざまな記録装置を使って、ペンギンやらウミガメやらアザラシの、まあどうでもいいけど未知の生態を探求するという、非常に愉快な本だ。
ペンギンは潜るとき息を大きく吹い、アザラシは吐くらしい。その結果、彼らの泳ぎがどう違うか……。
本当にくだらなくて、命から二番目に大切なものになりうる感じ。
あれ、無理やり関係づけちゃった。

怠けさせてください

相次ぐ、派遣切りのニュース。
私が直面しているのは解雇のような突発的な事態ではなく、仕事がだんだん減っていくといった、じりじりしたものなので、自分がこうなるかもという感覚とはちょっと違う。それでも、恐怖はある。たぶん、かなり安定した職についている人であっても、恐怖を感じるのであろう。
だからだろうか、ヒステリックな拒否感みたいなものをときどき感じる。
経済が悪化して多くの人が職を失い、家まで失っているという事態に対し、「この人たちはまじめに働こうとしている」「いや、努力していなかったからこうなったのだ」といった、個人の仕事に対する真面目さや努力の問題として語られるのを聞くと、私は冷や冷やする。
なぜかというと、私が怠け者で、明らかに仕事に対する情熱に欠けているからだ。
私が路頭に迷うことになったら、たぶん誰も同情してくれないだろう。

ポール・ラファルグ『怠ける権利』
80年近く前に書かれた本で、「働く権利」ではなく、「働かない権利」「怠ける権利」「1日最長3時間労働」を主張している。皮肉や逆説たっぷりで、当時のさまざまな文脈を読み解かなければならないので、結構面倒だが、面白い。
労働意欲というやつは、高まれば高まるほど賃金の全体的な低下を招く、という性質ももっている。
もちろん、私ひとりが怠けた場合、私の賃金は低くなる。
ぜひ、みなさんにも怠けてほしい。

とはいえ、私にも他人のために役立つことをしたいとか、人に認められたいという欲求がないわけではない。
人間にとって怠けと労働をめぐる関係は、とても複雑なのである(と偉そうに)。
このことを非常にわかりやすく描いた名著も、ついでに紹介しておこう。
トム・ルッツ『働かない―「怠けもの」と呼ばれた人たち』
長い本だが、細部も非常に面白いです。

国語、日本語

特に意図したわけではないが、年末から年明けにかけて、日本語の現状と将来を憂いた2冊を読んだ。

福田恒存『私の国語教室』
現代仮名遣いで育ったので、元に戻せと言われも困ると思いつつ読んだが、読後には私も当時を生きていたら、頑なに反対したかもしれないと思った。それだけ説得力があるということなのだが、もう過ぎたことだしいいじゃん、というのとは違う別の違和感も、自分のなかに少しある。

水村美苗『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』
言語間の非対称性、世界語としての英語の位置、翻訳の意味など、この本が描く世界に私も興味をもってきた。なるほどと思う部分も多い。
繰り返しの多いくどい文体に閉口したのは、たぶん、一点において著者の思いに感情移入できなかったからだろう。
それは、「国民文学」に対する思い入れの深さだ。
読者としてそういうものが好きかどうかの問題だけじゃない。
私は基本的に文学は翻訳可能だと思っているし、そうじゃないとしても翻訳不可能な要素にはあまり興味がない。
その言語でなくては伝わらないニュアンス。それが言葉の魅力のひとつであることは確かだ。
でも、その微妙なもののなかにこそ重要なものがあるとは考えないのである。
これは、多分わりと少数派の感覚なんじゃないだろうかとは思う。
いろんな意味で正しいと思いつつ、どうも反発せずにいられないのは、福田恒存の本と同じであった。

暇とサウダージ、風邪

景気が悪いと仕事が少ないのは、まあ仕方ないとして、自分の心が少しずつ荒んでくるのを感じる。こういうときこそ、人には優しくし、そして美しいものをつくりたいと思うのだが、そういう邪念がすでに景況感の悪化を示しているのかもしれない。
そして、こうも暇が続くと悪い考えやら風邪やら、いろいろやってくる。
サウダージもやってくる。

『ぼくのサウダージ』
サウダージとは何か、とは説明しにくいのだが、この曲はちょうどぴったりかもしれない。
失われたものへの執着とか欲望が消えた後に残る「何か」なんだろうか。

以下は、読書メモ。

佐藤優『自壊する帝国』『国家の罠』
今まで読んでなかったのだが、ふと文庫を手にとったら面白そうだったので。
特に前者のほうで、ロシアでウォッカを飲みまくりつつ、神学や政治の話をするところなんかが非常に面白い。
これを読んで、昔、私もチェコに行きたいと思って外務省の試験(アルバイトみたいなやつ)に落ちたことを思い出した。

関口義人『ジプシー・ミュージックの真実』
真実とはまた大きくでたなという感じもするが(内容もちょっとそんな感じ)、ディスクガイドなどはとても訳に立つ。

岩波明『狂気の偽装』
心の病という一種のブームを批判しつつ、医療に携わる者としての実感から現場の報告をするという感じ。
中身は、やや中途半端な気もする。

ジャンニ・ロダーリ『二度生きたランベルト』
特にコメントなし。

岩井克人・佐藤孝弘『M&A国富論』
優れた政策提言の書。

じょうずはこわい

福岡伸一「できそこないの男たち」
タイトルで嫌な予感はあったのだが、前著に感心したので買ってみた。
感想は「上手な文章って危険だな」というもの。
(上手な演奏にも似たところはあるだろうが、文章ほど危険ではないかもしれない。)
最後のほう、男という存在についてあれこれ想像をめぐらせるあたりは、飲み屋の与太話なのだが、彼が書くと結構サマになってしまう。
男系による皇位継承の話に、チンギスハーン由来のY染色体が今も旧帝国の版図で8%も見られるという話が続くのは、ちょっと面白い。

逆に、文章がちょっとたどたどしいけど、そこがまさに主張と一致していて感心したのが、
後藤和智「おまえが若者を語るな!」。
私もオッサンになってきたので、「世代論」や「若者論」の大好きな人と飲み屋へ行ったりするようになった。違和感はありつつも、まあテキトーに流してきたわけだ。救いというか、より悲惨なのは、若者への批判は大抵私に対しても当てはまるので(笑)、私がヘンに若者を擁護することになってしまうことだ。
まあ、そんなこんなを考えると、「世代論」はなるべくしないほうがいいと私も思う。それが宿命論的な意味合いをもってしまうというのも、著者の言う通りだろう。とりわけそれを芸として利用してきた宮台真司やら香山リカへの痛烈な批判はもっともである。
そして、著者自身にいまいち「芸」がないところも、ある意味、この本の正しさを補完しているわけだ。

ジプシーとアンパンマン

「だあしゑんか」という店ではブラジル音楽がよくかかる、というのは予測された事態であろう。
ハンバーガー屋でインド音楽がかかっていたら面食らうかもしれないが、
居酒屋でボサノヴァがかかっていても、もはや誰も驚かないのである。

古いサンバやカリブの音楽などが半分くらいを占める一方、東欧の音楽も少しかかる。
チェコ音楽はわずかで、ハンガリーやバルカン半島のものが多い。
このあたりの音楽を聴いていると、トルコやアラブまで地続きであることを感じる。
ヨーロッパとアジアは完全につながっているのである。

アンガス・フレーザー『ジプシー 民族の歴史と文化』。
ジプシーやロマ、ロムなどと呼ばれる多様な人々の歴史を概観するにはもってこいの本だと思う。
個人的には、「ジプシーには共通の音楽言語は存在しない」「創造者としてよりも継承者あるいは編曲者として、まわりの社会に特徴的な音楽をとりあげた」といった音楽関係の記述にとりわけ興味をもった。
また、婚姻習慣や移動生活といったことよりも「タブー」「穢れ」の概念がジプシー文化のなかでもっとも普遍的に見られる特徴であるとの指摘。
これがなかったら、たぶん彼らはあれほど過酷な歴史のなかで独自性を保つことはなかったんじゃないだろうか。
適切とは言えないかもしれないが、たとえば、ブラジルの日系人や在日の人々なんかと比較してみると面白いかもしれない。
文化を生き長らえさせる原動力は、どうやら愛国心とか民族的誇り、教育とは限らないようだ。

もう一冊、全然関係はないが、
やなせたかし『アンパンマンの遺書』。
私はアンパンマンにはまったく馴染みがない。
しかし、なんということはなしに読み始めたら、これが実に面白かった。
名文というか、とても味わいのある自叙伝。
お勧めです。

50周年と100周年

今年はボサノヴァ誕生50周年らしい。
ついでに、日系ブラジル移民100周年でもある。
どちらが社会的に重要かといえば、もちろん移民のほうだろう。

というわけで、こんな本を読んでみた。
細川周平『遠きにありてつくるもの--日系ブラジル人の思い・ことば・芸能』

力作である。
第Ⅰ部では短歌や俳句、川柳といったものから日系人が抱いた祖国への「郷愁」を分析。第二部は、「借用語」「弁論大会」のほか、日本人とブラジルの先住民(ツピ)が同じ祖先をもつというトンデモ説を展開したおじさんの話など、「移民の言葉」がテーマ。第三部はオペラ『蝶々夫人』を歌った「バタフライ歌手」、カーニヴァル、そして浪曲といった芸能について。どれも、この本でしか読めない貴重な資料を紹介しながら、独自の視点で移民史を語っている。
音楽などを通して、ある程度ブラジル文化について関心のある人なら、たとえば「借用語」の用例や、日系人とカルナヴァルの関係は実に興味深いはずだ。もっとも、大戦後の「勝ち組負け組抗争」など、移民史やブラジル文化史について基本的な解説をすっ飛ばしているところもあり(他の本で読めということだろう)、いきなり一冊目として読むには暗黙の前提としている部分が多すぎるような気がしないでもないが。
とにかく、私にとっては非常に面白い話ばかりなのだが、他人に勧めるには興味が個人的すぎるようにも思える。最後の浪曲の部分などは、読みながら、私もこういう「語り物」をいつか作ってみたいという思いを強くした(勝手にしろ!)。
あと、カルナヴァルの項で紹介されていた、日系移民をテーマにしたパレードの映像がyoutubeにあったので、備忘録的にリンクを貼っておこう。
(内容が濃すぎて、とりとめのない紹介になってしまい、すみません)

ついでにもう一冊。
しりあがり寿『人並みといふこと』

しりあがり先生は、私のなかでは同時代を感じつつ、心から尊敬できる数少ないクリエイターのひとりだ。リスペクトの嵐。
気軽に読めるエッセイ集。とはいえ、中身は結構暗い。本人は「スウィート・ネガティブ」とか言ってるが、自分でスウィートとか言ってていいのか(笑)? とも思うが、ご本人も苦笑しながら格闘している感じが素晴らしい。
(尊敬が大きすぎて、とりとめのない紹介になってしまい、すみません)