これまで、ほぼ毎週というペースで続けてきた「そっとナイト」。私の都合により、今後は月1~2回、不定期開催という形とさせていただくことになりました。お手数ですが間違えのないように、「ボサノヴァ日本語化計画」のHP、もしくはmixiのコミュで開催予定日をご確認の上、お気軽に遊びにきてくださいませ!
開催予定日
2/23 19:00~
3/23 19:00~
4/6 19:00~
これまで、ほぼ毎週というペースで続けてきた「そっとナイト」。私の都合により、今後は月1~2回、不定期開催という形とさせていただくことになりました。お手数ですが間違えのないように、「ボサノヴァ日本語化計画」のHP、もしくはmixiのコミュで開催予定日をご確認の上、お気軽に遊びにきてくださいませ!
開催予定日
2/23 19:00~
3/23 19:00~
4/6 19:00~
今回は家でだらだら弾いてる感じを録音してみることにした。
音源はこちら。
最初の曲は「胸の振り子」。以下、大体おなじみのボサノヴァです。
*注意 40分以上と非常に長い上、聞き苦しいところが多々あります。ファイルもデカイので、ダウンロードにも時間がかかると思われます。お暇のある方のみ、ちょっと聴いてみましょう。
こちらはお互いにまったく関係のない2冊。
瀬川昌久+大谷能生『日本ジャズの誕生』
対談本なんて安易に読むもんじゃないと思いつつ、つい買ってしまった。この本が扱う、戦前から戦後すぐにかけてジャズっぽい音楽に惹かれるからだ。二村定一の「青空」「アラビアの唄」、私もライブでやったことがある「南京豆売り」、服部良一アレンジの「山寺の和尚さん」「流線型ジャズ」、そして戦後の笠置シヅ子のブギウギまで。
2人の対談者と同じく、私もときどき、歴史の「もしも」で日本のポピュラー音楽は少し違った形になる可能性があったのではないかと夢想することがある。
そして、踊る、歌うという要素から離てしまった以後のジャズにはどうも興味がもてない。
本としては、まあ資料集という感じだが、色川武大の素敵な文章が引用されていたのが嬉しかった。『唄えば天国ジャズソング』とかいう本らしい。こんど探してみよう。
ちょっと長いけど、引用。
「……二村定一がそこで唄っている「アラビアの唄」というのが、実にまたいいのである。(中略)詩も見事にナンセンスでくだらないが、曲もまた、エキゾチックの安物で、格調などはケもない。誤解されると困るが、くだらなくて、安手で、下品に甘くて、この三つの要素が見事に結晶していて、出来あがったものは下品であるどころか、ドヤ街で思いがけず柔らかいベッドに沈んだような、ウーンと唸ってちょっとはしゃぎたいような気分にさせてくれる。
私にいわせれば、唄とはこういうものであってほしい。変に意味があっては困る。人生に相当するような重い部分があってもいけない。改めて手にとれば実にくだらない。しかしそのくだらなさが昇華されて、現実のくだらなさとはまた別になっている必要がある。
それが何故、命から二番目に大切なものになるのか、そう思わない人にはなかなか説明しにくい」
佐藤克文『ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ』
なんとなく手にとったのは、大好きなペンギンのあまり可愛くない写真が巻頭にあったからだ。
データロガーというさまざまな記録装置を使って、ペンギンやらウミガメやらアザラシの、まあどうでもいいけど未知の生態を探求するという、非常に愉快な本だ。
ペンギンは潜るとき息を大きく吹い、アザラシは吐くらしい。その結果、彼らの泳ぎがどう違うか……。
本当にくだらなくて、命から二番目に大切なものになりうる感じ。
あれ、無理やり関係づけちゃった。
相次ぐ、派遣切りのニュース。
私が直面しているのは解雇のような突発的な事態ではなく、仕事がだんだん減っていくといった、じりじりしたものなので、自分がこうなるかもという感覚とはちょっと違う。それでも、恐怖はある。たぶん、かなり安定した職についている人であっても、恐怖を感じるのであろう。
だからだろうか、ヒステリックな拒否感みたいなものをときどき感じる。
経済が悪化して多くの人が職を失い、家まで失っているという事態に対し、「この人たちはまじめに働こうとしている」「いや、努力していなかったからこうなったのだ」といった、個人の仕事に対する真面目さや努力の問題として語られるのを聞くと、私は冷や冷やする。
なぜかというと、私が怠け者で、明らかに仕事に対する情熱に欠けているからだ。
私が路頭に迷うことになったら、たぶん誰も同情してくれないだろう。
ポール・ラファルグ『怠ける権利』
80年近く前に書かれた本で、「働く権利」ではなく、「働かない権利」「怠ける権利」「1日最長3時間労働」を主張している。皮肉や逆説たっぷりで、当時のさまざまな文脈を読み解かなければならないので、結構面倒だが、面白い。
労働意欲というやつは、高まれば高まるほど賃金の全体的な低下を招く、という性質ももっている。
もちろん、私ひとりが怠けた場合、私の賃金は低くなる。
ぜひ、みなさんにも怠けてほしい。
とはいえ、私にも他人のために役立つことをしたいとか、人に認められたいという欲求がないわけではない。
人間にとって怠けと労働をめぐる関係は、とても複雑なのである(と偉そうに)。
このことを非常にわかりやすく描いた名著も、ついでに紹介しておこう。
トム・ルッツ『働かない―「怠けもの」と呼ばれた人たち』
長い本だが、細部も非常に面白いです。
特に意図したわけではないが、年末から年明けにかけて、日本語の現状と将来を憂いた2冊を読んだ。
福田恒存『私の国語教室』
現代仮名遣いで育ったので、元に戻せと言われも困ると思いつつ読んだが、読後には私も当時を生きていたら、頑なに反対したかもしれないと思った。それだけ説得力があるということなのだが、もう過ぎたことだしいいじゃん、というのとは違う別の違和感も、自分のなかに少しある。
水村美苗『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』
言語間の非対称性、世界語としての英語の位置、翻訳の意味など、この本が描く世界に私も興味をもってきた。なるほどと思う部分も多い。
繰り返しの多いくどい文体に閉口したのは、たぶん、一点において著者の思いに感情移入できなかったからだろう。
それは、「国民文学」に対する思い入れの深さだ。
読者としてそういうものが好きかどうかの問題だけじゃない。
私は基本的に文学は翻訳可能だと思っているし、そうじゃないとしても翻訳不可能な要素にはあまり興味がない。
その言語でなくては伝わらないニュアンス。それが言葉の魅力のひとつであることは確かだ。
でも、その微妙なもののなかにこそ重要なものがあるとは考えないのである。
これは、多分わりと少数派の感覚なんじゃないだろうかとは思う。
いろんな意味で正しいと思いつつ、どうも反発せずにいられないのは、福田恒存の本と同じであった。
みなさまにとって素敵な牛が見つかりますように。
そして、ニコニコな年となりますように。
*「十牛図」の解説はこちらなどでどうぞ。
Farolitoを録音してみた。
ジョアン・ジルベルトの「エン・メヒコ」というアルバムに収録されている。メキシコの歌らしい。
大好きなアルバムなのだが、「不遇の時代」とか表現されるメキシコ滞在がジョアン・ジルベルトにとってどいう意味をもっているのかは、さっぱり分からない。
景気が悪いと仕事が少ないのは、まあ仕方ないとして、自分の心が少しずつ荒んでくるのを感じる。こういうときこそ、人には優しくし、そして美しいものをつくりたいと思うのだが、そういう邪念がすでに景況感の悪化を示しているのかもしれない。
そして、こうも暇が続くと悪い考えやら風邪やら、いろいろやってくる。
サウダージもやってくる。
『ぼくのサウダージ』
サウダージとは何か、とは説明しにくいのだが、この曲はちょうどぴったりかもしれない。
失われたものへの執着とか欲望が消えた後に残る「何か」なんだろうか。
以下は、読書メモ。
佐藤優『自壊する帝国』『国家の罠』
今まで読んでなかったのだが、ふと文庫を手にとったら面白そうだったので。
特に前者のほうで、ロシアでウォッカを飲みまくりつつ、神学や政治の話をするところなんかが非常に面白い。
これを読んで、昔、私もチェコに行きたいと思って外務省の試験(アルバイトみたいなやつ)に落ちたことを思い出した。
関口義人『ジプシー・ミュージックの真実』
真実とはまた大きくでたなという感じもするが(内容もちょっとそんな感じ)、ディスクガイドなどはとても訳に立つ。
岩波明『狂気の偽装』
心の病という一種のブームを批判しつつ、医療に携わる者としての実感から現場の報告をするという感じ。
中身は、やや中途半端な気もする。
ジャンニ・ロダーリ『二度生きたランベルト』
特にコメントなし。
岩井克人・佐藤孝弘『M&A国富論』
優れた政策提言の書。
福岡伸一「できそこないの男たち」
タイトルで嫌な予感はあったのだが、前著に感心したので買ってみた。
感想は「上手な文章って危険だな」というもの。
(上手な演奏にも似たところはあるだろうが、文章ほど危険ではないかもしれない。)
最後のほう、男という存在についてあれこれ想像をめぐらせるあたりは、飲み屋の与太話なのだが、彼が書くと結構サマになってしまう。
男系による皇位継承の話に、チンギスハーン由来のY染色体が今も旧帝国の版図で8%も見られるという話が続くのは、ちょっと面白い。
逆に、文章がちょっとたどたどしいけど、そこがまさに主張と一致していて感心したのが、
後藤和智「おまえが若者を語るな!」。
私もオッサンになってきたので、「世代論」や「若者論」の大好きな人と飲み屋へ行ったりするようになった。違和感はありつつも、まあテキトーに流してきたわけだ。救いというか、より悲惨なのは、若者への批判は大抵私に対しても当てはまるので(笑)、私がヘンに若者を擁護することになってしまうことだ。
まあ、そんなこんなを考えると、「世代論」はなるべくしないほうがいいと私も思う。それが宿命論的な意味合いをもってしまうというのも、著者の言う通りだろう。とりわけそれを芸として利用してきた宮台真司やら香山リカへの痛烈な批判はもっともである。
そして、著者自身にいまいち「芸」がないところも、ある意味、この本の正しさを補完しているわけだ。
鬼子母神で都電に乗り換え、大塚まで。
体調はいまひとつだったが、「チンチン」の音とともに電車が走り出した瞬間、なんかいいライブになりそうな予感がした。
そんなわけで、私にしては珍しく、割と安定したいい演奏だったように思う。
共演の米山さんも、少し調子外れの音が素敵なアンデスを駆使して、いい具合にやってくれた。
それにしても、お客さんが少なくて残念。
ブラジル料理も美味しくて、いつも楽しい雰囲気の店なのに、寒風が吹いていた(笑)。
トローリーソング
三月の水