ボサツノバ@だあしゑんか

先日行われたボサツノバのワンマンライブ@だあしゑんかの模様。
ご本人によると、ワンマンライブというのは初めてらしい。
たっぷり2時間、ギターと歌だけで繰り広げる世界は、一種の曼陀羅のようだと書いても、まあそれほど罰当たりでもないだろう。なかでも炭坑節やらCan’t Take My Eyes Off Youやらをとりまぜたナンバーは美しくも楽しくて素晴らしかった。「仏教色」の強いレパートリーもいくつか披露。自分のやってる店のことでなんだが、これほどお得なライブは、あまりないのではないだろうか……。

*思い出してみると大変恥ずかしいのだが、私の最初のライブはワンマンだった(それも2時間くらいの)し、その後も半分くらいはワンマン(つまり自主企画)である。私自身は、ワンマンは無茶だからこれからやめようかなと思っているところだ。

シリアの花嫁とオフサイド・ガールズ

今回は珍しく映画の話だ。
友人のお誘いで『シリアの花嫁』という映画を見ることになった。
ゴラン高原のイスラエル占領地から、シリア側へ嫁ぐ結婚式の一日を描いた物語。
複雑な政治情勢を誰もが共感できる「家族の物語」にしっかり落とし込んだのは、素晴らしいと思う。
エンターテインメント性もちゃんとある。
NHKのドキュメンタリーなんかで、谷間の境界線を挟み拡声器で話す住民の様子を見たことがある人もいるだろう。このあたりの問題に興味のある方はぜひ映画を観てほしい。

とはいえ、私としては、大声では言えないような小さな不満が胸の奥に残った。
真面目で立派なよくできた映画ではあるけど、この映画には何かが足りない気がしたのだ。
映画ならではの「魔法」みたいなものだろうか。
もちろん、NHKのドキュメンタリーを観るより、ずっと強い印象は残す。でも、その延長線にあるような感じがしないでもなかったのだ。

どんな映画にそんな魔法があるのか、ということで、
今年DVDでみたイランの『オフサイド・ガールズ』を紹介したい。
男性社会で翻弄される女性たち、というテーマは、それなりに似ている。
だが、こちらは不真面目というわけでもないが、サッカー観戦をしたい女性たち、という政治的にも些細な出来事を描いている。出てくる「ガールズ」も、みな人格者とは言えない。
『シリアの花嫁』なんかに比べると、明らかに分が悪い。全然、立派じゃないのだ。
けれども、私はこの映画に夢中になったし、最後までその世界に吸い込まれたままだった。
『シリアの花嫁』を観ながら、いろいろ考え事をしてしまったのとは、ずいぶん違う体験だ。

私が言いたいのは、どちらが優れているということとは、ちょっと違う。
検閲の厳しいイランでささやかな反抗を試みることと、別の意味でやはり厳しい状況にあるイスラエルにおいて、センシティブな政治問題を正面から扱うことは、同列に論じるべき事柄ではない。
けれども、ひとつの映画のなかにある「立派さ」「真面目さ」、もうひとつのなかにある「ユーモア」「悪戯」。
結果的にはどこか似た結論で終わってる2つの映画だけに、これは、比べずにはいられない。
面白い作品の創作というのは、そもそもやや不道徳的なことなんじゃないだろうか、と考えてみたりする。

観光局のサンバ

バイーアというところがどんな場所か説明するのは難しいのだが、
日本でいえば、那覇と京都を足して二で割った感じといったら、
いい加減すぎるだろうか。

とにかく、サンバにはバイーア礼賛ものが多い。
郷土料理とかお祭りとかの固有名詞がたくさんでてきて、非常に困る。
とはいえ、言っていることは割と単純であったりする。

ドリヴァル・カイミ「君はもうバイーアへ行った?」

この曲を聴くと、ディズニー映画『三人の騎士』を思い出す。
ドナルド・ダックにブラジルの素晴らしさを紹介するジョゼ(ホセ)・カリオカにこのまんまな台詞があるのである。
私もまた、こういうバイーア・ソングの数々に誘われてかの地を訪れた観光客の一人だが、
結局のところ、その素晴らしさは結局よく分からなかった。
もちろん、すごく、いいところなんだけど。

ジプシーとアンパンマン

「だあしゑんか」という店ではブラジル音楽がよくかかる、というのは予測された事態であろう。
ハンバーガー屋でインド音楽がかかっていたら面食らうかもしれないが、
居酒屋でボサノヴァがかかっていても、もはや誰も驚かないのである。

古いサンバやカリブの音楽などが半分くらいを占める一方、東欧の音楽も少しかかる。
チェコ音楽はわずかで、ハンガリーやバルカン半島のものが多い。
このあたりの音楽を聴いていると、トルコやアラブまで地続きであることを感じる。
ヨーロッパとアジアは完全につながっているのである。

アンガス・フレーザー『ジプシー 民族の歴史と文化』。
ジプシーやロマ、ロムなどと呼ばれる多様な人々の歴史を概観するにはもってこいの本だと思う。
個人的には、「ジプシーには共通の音楽言語は存在しない」「創造者としてよりも継承者あるいは編曲者として、まわりの社会に特徴的な音楽をとりあげた」といった音楽関係の記述にとりわけ興味をもった。
また、婚姻習慣や移動生活といったことよりも「タブー」「穢れ」の概念がジプシー文化のなかでもっとも普遍的に見られる特徴であるとの指摘。
これがなかったら、たぶん彼らはあれほど過酷な歴史のなかで独自性を保つことはなかったんじゃないだろうか。
適切とは言えないかもしれないが、たとえば、ブラジルの日系人や在日の人々なんかと比較してみると面白いかもしれない。
文化を生き長らえさせる原動力は、どうやら愛国心とか民族的誇り、教育とは限らないようだ。

もう一冊、全然関係はないが、
やなせたかし『アンパンマンの遺書』。
私はアンパンマンにはまったく馴染みがない。
しかし、なんということはなしに読み始めたら、これが実に面白かった。
名文というか、とても味わいのある自叙伝。
お勧めです。

一区切り

終わりというのは唐突にやってくるもので、しかも、それは実にあっけなかったりする。
一週間ほど前、「ボサノヴァ日本語化計画」のサイトから音源を削除することにした。
大変、辛いことだ。
まあでも、仕方がない。
私自身にとっての音楽や歌が終わったわけじゃないし。
しばらく、おとなしく地下に潜って「あな☆ホリデー」でも歌おう。

ナショナリストのサンバ

Canta Brasilという曲を録音してみた。

As selvas te deram nas noites seus ritmos barbaros
Os negros trouxeram de longe reservas de pranto
Os brancos falaram de amores em suas cancoes
E dessa mistura de vozes nasceu o teu canto

というのが最初の部分。面白いので、直訳ぎみに訳すことにした。

深い夜の森に響くリズム
黒い肌が歌う悲しみ、涙
白い肌、ささやく恋の歌
まざりあうたくさんの声

サンバの歌詞には、こういうものがけっこう多い。
ブラジル万歳調。しかも観念的、抽象的なやつ。
いくつかは、ボサノヴァのレパートリーとしてもよく歌われる。「ブラジルの水彩画」なんかも、その一例だろう。
ここで歌われている人種の混合は、ほとんどブラジル国家の「公式見解」であり、
たとえていうなら「平和国家、日本」みたいなお題目、理想である。
実際のところ、ブラジルにも人種差別は当然あるわけだが、サンバという夢の世界では、それは消えてしまっているのだ。
私のような日本人がこういう歌に惹かれるというのも、ヘンテコな話ではある。
(たぶん日系人は、この「黒い肌」「白い肌」が生んだサンバの世界に、簡単に入れてもらえないだろう。)
とはいえ、そういう胡散臭さをはらみながらも、こうした愛国サンバの魅力は否定しがたい。
ブラジルは、サンバという大衆音楽の一ジャンル(にすぎない、しかも被支配層の)を、いわば国家のアイデンティティ、象徴として採用した稀有な国だと思う。
このほとんどアクロバティックともいえる出来事は、たとえばジャズやロックをいつのまにか横取り(?)してしまったアメリカの白人と比べると、より際立って見えると思う。
ブラジルの支配層がなんでこんなことをやったのか、私には正直いってよく分からないのだが、このことがブラジル音楽の特別な面白さにつながっていることは、ほぼ間違いないだろう。

ジルベルト・ジル(2)

ジルベルト・ジルの真似はできないと前に書いたが、悔しいので一応やってみた。

Aquele Abraco 演奏&歌 by OTT

「アケリ・アブラッソ」とは抱擁を意味し、リオ・デ・ジャネイロでは別れの挨拶がわりに使われるらしい。
ジルベルト・ジルが故国を追われ、イギリスへ亡命する前に書いた代表曲で、リオという街への愛情がこめられている。
これだけ聞くと、「まあ、いいんじゃない?」と思われるかもしれないが、
やってるほうは、本当に苦しい。なんというか、音楽が「自分のもの」にならない感じなのだ。

参考のために、ご本尊の演奏も。

ちなみに私の妻はジルベルト・ジルについて、珍しくこのように論評していた。
「音楽が簡単に国境を越えるというのは、たいてい嘘に思える。
だが、ジルは確かに越えている」
どこかの偉い評論家が書いた文句みたいで面白いので、書き記しておこう……。

ボサツノバ・ライブ


前にもこのブログでちょっと触れたアーティスト、ボサツノバ。
こんど「だあしゑんか」でライブをやってもらうことになった(10月26日)。

「ボサノヴァ弾き語りをするお坊さん」で「菩薩ノバ」というと、
なんだかただの冗談にしか思えないかもしれないが、
ぜひ、騙されたと思って一度体験してほしい。

あらゆるジャンルのカヴァーや替え歌、オリジナルが融合し、
驚きや笑いとともに音楽そのものの楽しさが感じられる演奏と歌は、ちょっとした言葉だけじゃ説明しにくい。
私が知る限り、今、東京近辺でもっとも刺激的な弾き語りだ。

菩薩ノバHP

ジルベルト・ジル

昨夜、ジルベルト・ジルの来日公演にいってきた。
素晴らしかった、美しかった、楽しかった。
このバンドは、ベースやリズムセクションがすごくて、
その安定感のなかで、ジルは思い切り自由にはじけているように見えた。
音楽が一人の人間のなかからわき上がってくるのを目撃する楽しさ。

もしかしたらジルベルト・ジルという人はあまりにその内なる音楽性が豊かすぎて、
アーティストとしての顔が分かりにくく、日本ではそれほどファンが多くないのかもしれない。
レゲエ好きとかボサノヴァ好きとかサンバ好きとか、
悪しき「ジャンル性」に邪魔されてしまっている部分もあるかもしれない。
実際のところ、今回のライブもレゲエでビートルズやったり、イパネマの娘をやったり、
サービス精神旺盛ではあるが下手すると「余興」に見えなくもない部分が結構、多い。

個人的に、ジルベルト・ジルの曲をよく演奏してみるのだが、
それは非常に難しい。私の能力のなさと言ってしまえば身も蓋もないけど、
この難しさと彼の音楽がもつ特異性は、何やら通じるものがある気がする。
実際、ジョアン・ジルベルトやカエターノ・ヴェローゾの「スタイル」を真似てみる日本のミュージシャンはいくらでもいるけど、ジルの物真似は今まであまり目撃したことがない。

ところで、途中、プレゼンターの宮沢和史を迎えて「島唄」を歌うという、それこそ「余興」があった。
ジルがどんな風に歌うか、興味津々だったのだが、宮沢氏のねっとりとした熱唱により、あまりちゃんと聴けなかったのが残念だ。演奏も、よかったのに。
こういう場合、ブラジルの大物ミュージシャンだったら、
「ジル、僕のつくった曲を歌ってくれて、ほんと感激だよ!」みたいな嬉しそうな顔をして、
その演奏を堪能する「フリ」くらいはするだろう。
日本とブラジルの違いなのか、ミュージシャンの格の問題なのか。
(注:私は宮沢和史が嫌いなわけではありません。彼の歌はよくカラオケで歌うし。強いていえば、歌い方が苦手です。)

50周年と100周年

今年はボサノヴァ誕生50周年らしい。
ついでに、日系ブラジル移民100周年でもある。
どちらが社会的に重要かといえば、もちろん移民のほうだろう。

というわけで、こんな本を読んでみた。
細川周平『遠きにありてつくるもの--日系ブラジル人の思い・ことば・芸能』

力作である。
第Ⅰ部では短歌や俳句、川柳といったものから日系人が抱いた祖国への「郷愁」を分析。第二部は、「借用語」「弁論大会」のほか、日本人とブラジルの先住民(ツピ)が同じ祖先をもつというトンデモ説を展開したおじさんの話など、「移民の言葉」がテーマ。第三部はオペラ『蝶々夫人』を歌った「バタフライ歌手」、カーニヴァル、そして浪曲といった芸能について。どれも、この本でしか読めない貴重な資料を紹介しながら、独自の視点で移民史を語っている。
音楽などを通して、ある程度ブラジル文化について関心のある人なら、たとえば「借用語」の用例や、日系人とカルナヴァルの関係は実に興味深いはずだ。もっとも、大戦後の「勝ち組負け組抗争」など、移民史やブラジル文化史について基本的な解説をすっ飛ばしているところもあり(他の本で読めということだろう)、いきなり一冊目として読むには暗黙の前提としている部分が多すぎるような気がしないでもないが。
とにかく、私にとっては非常に面白い話ばかりなのだが、他人に勧めるには興味が個人的すぎるようにも思える。最後の浪曲の部分などは、読みながら、私もこういう「語り物」をいつか作ってみたいという思いを強くした(勝手にしろ!)。
あと、カルナヴァルの項で紹介されていた、日系移民をテーマにしたパレードの映像がyoutubeにあったので、備忘録的にリンクを貼っておこう。
(内容が濃すぎて、とりとめのない紹介になってしまい、すみません)

ついでにもう一冊。
しりあがり寿『人並みといふこと』

しりあがり先生は、私のなかでは同時代を感じつつ、心から尊敬できる数少ないクリエイターのひとりだ。リスペクトの嵐。
気軽に読めるエッセイ集。とはいえ、中身は結構暗い。本人は「スウィート・ネガティブ」とか言ってるが、自分でスウィートとか言ってていいのか(笑)? とも思うが、ご本人も苦笑しながら格闘している感じが素晴らしい。
(尊敬が大きすぎて、とりとめのない紹介になってしまい、すみません)