夏のらいぶ

しばらくライブから遠ざかっていたが、8月後半から9月にかけてはなぜか3回も続いた。
うち2つは、スーパーギタリストの加藤崇之さんの企画・座長で、柳家小春師匠と3人の日本語ボサノヴァ一座という試み。
加藤さんと小春師匠のデュオは、これをやってもらうために訳してきたんじゃないかなーと思うくらいに素敵な演奏を聴かせてくれた。
ボサノヴァとして優れているのはもちろん、借り物じゃない、日語の歌が日本の音楽に乗っていると感じられる。

写真は、谷中ボッサでいい感じのお二人。

(photo by yagi)

もう一回は、岡野勇人さんのお誘い。
鍵盤ハーモニカ4人+パンデイロでショーロを奏でるというすごいバンド「けんはもよん♪」とご一緒させていただいた。
これも素晴らしいライブを見せてもらった。
私は久しぶりにビリンバカ前田さんのパーカッションと数曲合わせてみた。

歌詞ができてまだ数日、ほやほやの「カリニョーゾ」を練習なしで合わせるという神業(?)。

こっちは、お馴染み「ブラジルの水彩画」

ストーカーのやさしさ?

「カリニョーゾ」を訳すと「やさしく、愛情を込めて、愛撫するように」くらいの感じだろうか。ブラジルを代表する有名な曲だが、こんなに怖い歌詞とは正直思ってなかった。
とはいうものの、これには多分、時代や文化の違いなんかの事情もあるのだろう。
一方的に思いを募らせ、妄想を膨らませ、追いかけ、逃げるなと迫る。
今では「ストーカー的」ともいえる歌詞も、かつてはごくごく普通だったのかもしれない。
本来はその辺を勘案して穏やかに訳すべきなのだろうが、今回は面白いので敢えてそのままにした。

カリニョーゾ
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/carinhoso.mp3

なぜかな? 心が 幸せを 歌うよ
あなたには聞こえない? 感じないの? どうして
あなたは 逃げるの?

なじかは 知らねど 心が 微笑む
あなたには見えないの? 感じないの? どうして
あなたは 逃げるの?

愛する心 やさしい心 本当の心
あなたに伝えられたら決して逃げたりはしないはず
おいで 胸のなかへ くちづけ あふれるほど
そしてふたりの心は はじめておだやかな 愛に包まれる

ボサノヴァではなく、ショーロの曲として知られている。
楽器に苦手意識のある私にとって、器楽音楽であるショーロというジャンルは遠い憧れの存在だが、この曲は歌詞もついてて、ボサノヴァ系の歌手が歌うことも多い。
こんど、ライブをご一緒させていただく「けんはもよん♪」は、鍵盤ハーモニカ4人+パンデイロでショーロを演奏するというすごいグループらしく、私はびびっている。
そんなこともあり、この曲を訳してみた、という話でもある。

★live @ 奇聞屋
2011/9/1(木) 19:30~
出演:けんはもよん♪(中浩美,岡野勇仁,赤羽美希,林加奈,飯島ゆかり), OTT
Charge 700円+オーダー+チップ
場所:
奇聞屋(杉並区西荻南3-8-8-B1)予約03-3332-7724

夏らしい読書

マーク・トゥエイン『ハックルベリ・フィンの冒険』(ちくま文庫、加島祥造訳)
はずかしながら、四十になる前にようやく読めた……。
面白いとは聞いていたが、本当にいい。
罪悪感を抱きながら逃亡奴隷を助けてしまい、一緒に筏に乗ってミシシッピ川をどんどん下っていってしまう感じは、妄想王ドン・キホーテとサンチョの旅路に匹敵する、美しい情景だと思う。

それで、これを訳した加島祥造先生のことは、これまでも何度も書いてきたが(たとえばこれとか)、最近はこんな本も出ていることを知った。
加島祥造『わたしが人生について語るなら』
夏休み、こんな風に語ってくれるお爺ちゃんがいたら、孫は本当に幸せだろう。
こんな風に語ってくれなくとも、お爺ちゃんと過ごす孫は幸せである(なんのこっちゃ)。

3冊目は何が夏らしいかまったく不明だが、私にとってはなんとなくそのカテゴリーに入る。
ニック・レーン『ミトコンドリアが進化を決めた』
理科系で難しいからかな? 理由もはっきりせず、なんとなく読み始めたからかな?
あまり関係ないが昔、アメリカの高校で生物学の授業をとっていたことを思い出した。
ミトコンドリアはマイトコンドリアと発音してたな。

震災関連本?

本屋へいくと、震災関連本や原発関連本がたくさん並んでいる。
たぶん、一番早かった「関連本」を友人が編集した。それを聞いて私は誇らしく思ったが、自分自身はヘナチョコなので、この手の本をまったく手に取れずにいる。

でも、これだけはと思ったので買ったのが、
しりあがり寿『あの日からのマンガ』
震災本じゃなくて震災マンガじゃん、というわけで、期待した以上に素晴らしかった。
読むべし、笑うべし、泣くべし。

関係ないけど、震災後繰り返し流れた映像のなかで、津波とは別に印象に残ったのは「アメリカの女性ジャーナリストが、被災者のおっさんから煎餅を与えられる」という場面だった。彼女は大袈裟に「助けを必要としているのはあなたでしょう!?」と驚く。
妻が言うには、「あの煎餅は〈雪の宿〉に違いない」とのことで、しばらく私たちは〈雪の宿〉を食べたくなることが多かった。たまに店に置いてないと、みんな同じ気持ちで買い占めしているのだろうと想像した。

レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』を読むと、あのジャーナリストがパニクってて、煎餅を与えたおっさんが落ち着いていたのが、実はすごく典型的な出来事であったことが分かる。
日本だけではない、世界のどこでも大災害においては人々は意外に落ち着いていて、利他的な相互扶助が広く見られる。パニックを起こすのは主にエリート層、離れたところにいる人、そして土地勘のない人だとか。
これも本屋で平積みされていたのだが、実は震災前の本。ハリケーン・カトリーナ後の話はかなり衝撃的。
すごくいい本だと思うが、長くてややまとまりに欠けるのが残念。そして、あまり言いたくはないが、翻訳がいまいち。
オアハカをオアクサカ、ソカロをゾカロなんていうのは、インターネット時代の今、編集者と翻訳者の手抜きだし、いかにも英語中心主義な感じ。

安部ねり『安部公房伝』
あとがきの最後に一文が加えられていた。今後、すべての本は「震災後の本」になるのだと思った。
ひさしぶりに安部公房を読んでみようと思った。

ありうる? ありえない?

想定外のことは起きるものだというのは、まあ当たり前の話で、私のようないい加減な人間が言ってもただの言い訳にしか聞こえないけど、カルトーラのような滋味溢れるちょっとこわもての人が歌ったりすると、異様な説得力をもってしまうというお話。

アコンテシ(ありうる)
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/cartola.mp3

いつもこの世は不思議さ
どんなことだって、ありうる
私の愛はもう終わった
君はきっと悲しむのだろう 泣くのだろう
心から愛していたけど 今の私にはできないよ
ただ嘘をついて暮らすなんて
愛しているふりなんてできないよ
ありえないのさ

ボサノヴァというより、サンバです。
しかし、「どんなことでもありうる」とか言っておいて、最後に「それだけはありえない」で終わる歌ってすごいよなあと思う。
*暑いので演奏や録音がいい加減なのはどうかお許しを。

鳥の鳴き声

最近、家にいても鳥の鳴き声がとても気になる。
大体はスズメやカラスだと思うが、違うのが数種混じっているようにも思える。
しかし、本を読んだりCDを聞いたりしてもよく分からない。

さて、ひさびさにライブなので葉書をつくった。やっぱり鳥です。
最近、ギターの調子がすごくいい。よいライブになると思うので(たぶん)、ぜひ聴きにきてくださいませ!

★日本語でボッサの会1
2011/8/18(木) start 19時頃~
出演: 加藤崇之柳家小春、OTT
Charge たぶん無料1000円か2000円+オーダー
場所: Aparecida (杉並区西荻南3-17-5 2F)
◆超絶ガットギタリストと江戸音曲の歌い手というほとんどありえない組み合わせで、日本語ボッサというたいへん光栄な企画。お店もブラジル音楽好きなら一度は訪れたい素敵なところです。

鉄道音楽?

リズムに乗るという経験は、他の何にもかえがたいものだ。
私の場合、もっとも古い「ノった」記憶は、もしかしたら電車の音かもしれない。
そんなわけで、「鉄道音楽」みたいなものが好きだ。
といっても、以下の4枚しか思いつかない(しかも最後の4枚目は最近買ったばかり)。

スティーヴ・ライヒ『ディファレント・トレインズ』
クラフトワーク『ヨーロッパ特急』
エグベルト・ジスモンチ『Trem Caipira』
ソハイル・ラナ『Khyber Mail』

ぜひ、あとひとつ見つけて「五大鉄道音楽CD」としたい。条件としては、
・旅をしているような気分になること。
・歌詞はないか、あっても単純なものであること。
・それなりの長さがあること(アルバムが望ましい)。
ご推薦、お待ちしております。

さて、今回買ったソハイル・ラナ『Khyber Mail』について。
どうも、パキスタン映画音楽の巨匠らしい。そして旅路はカラチからペシャワールを目指すらしい(タイトルの意味はカイバル峠郵便列車?)。
なんか今となってはきな臭いエリアだけど、ハッピーでチープな感じが素晴らしい。
ああ、旅行にいきたい。

*追記*
すっかり忘れていたのだが、5枚目はやっぱり細野晴臣『銀河鉄道の夜』だろう。

詩というクラフトについて

前にも確か光文社古典新訳文庫のすばらしさについては書いた気がする。
今回も、その点については変わらない。こういうチャレンジングな仕事を続けてほしいと祈るばかり。

川村湊訳『梁塵秘抄』
ときに原詩を逸脱してでもという現代的な訳。そして原詩と解説を読み合わせれば、なんとなく詩が伝わってくるという素晴らしい仕組みである。
版元および訳者には最大限のリスペクトを表明しつつ、とても残念なのだけど、肝心の訳詞はあまり好きになれないものが多かった。
それが訳者の目指したという「歌謡曲っぽさ」ゆえなのか、全体に言葉がオヤジすぎるからなのか、私に詩を味わう才能が足りないからなのか、あるいはそもそも原詩が好きじゃないのか、理由はよくわからない。
ただ、解説などを読むと、やはり訳者の意図や狙いは正しいと思える。
そして、自分ならこう訳すなあ、などと考えながら読める本はそうあるものではない。

ちょうど同じときに買って読んだこの本はまさに、その「なぜ好きになれないか」を問題にしたような本。
JLボルヘス『詩という仕事について』
原題は英語(元は英語の講義らしい)で、This Craft Of Verse(詩というものづくりについて)。
逐語訳と再創作の両方が力をもつことを述べた詩の翻訳についての章など、「なぜ詩は詩になったり、ならなかったりするのか」という謎について書いたものといえる。
もちろん、明快な答えがあるわけではない。最後まで詩は謎に満ちたクラフトでありつづけるわけだ。

逐語訳という考えかたは聖書の翻訳から始まったと考えています。……聖書の実に見事な翻訳が行われるのを見て、人びとは、外国風の表現のなかにも美があることを発見し、そのように感じ始めました。

インド人は古代哲学の用語を今日の哲学の新しい表現に翻訳するのですが、これは素晴らしいことです。これは、人が哲学を信じるという、あるいは詩を信じるという、そして昔美しかったものは今も美しくあり続けることができるという、そうした考えを保証するものです。

そんな訳で、つぎはこれを読んでみる。
ホイットマン『おれにはアメリカの歌声が聴こえる 草の葉(抄)』

広場と庭

アントネッラ・アンニョリ『知の広場』(みすず書房)
最近、図書館にすごく世話になっている。昔からよく使っていたが、インターネットで使い勝手がよくなっというのが大きい。
そういう時代、確かに図書館の存在価値って何だろうとは思う。
好きな場所のひとつだし、なくなってほしくない。
広場のような場所であるべきという理想はよく分かる。メキシコシティの広場はでかすぎ、オアハカの広場は素晴らしいというのもわかる。
本自体はやや図書館関係者向けという感じで、それほど面白い読書ではなかったけど、関連業界(?)の方にはぜひ読んでいただきたい。

ヨーロッパ文化の広場に対応するものが日本にないとか、いやそれは銭湯だろうとかいう議論はともかく、近くに少し広場っぽいところがあって、近所の暇をもてあましつつお金のなさそうな老人たちが集まっている。
行政はというと、明らかにそれを迷惑がっているようである。
図書館を広場に、よりもまず「居心地のよい広場を」のほうが先なのかもしれない。
以下引用。

……ベッペ・セバステは書き、読者にこう呼びかける。「もしベンチが消滅の危機にあるとするなら、それはベンチが危険だと考えられているからだ。ベンチが危険なのは、町中に偶然に、しかも無料で置かれているからである。……」。もし広場からベンチが消えてしまうなら、私たちの図書館が屋根のある広場になればいい。……消費の神さまに敬意を示す必要のない無料の場所に数時間座って過ごせるなら、それだけでいいのである。

レヴィ・ストロース『ブラジルへの郷愁』(中央公論新社)
コンパクト版が出たのを知らず、半年ほど過ごしていた。
1930年代のブラジルを撮った写真。サンパウロは劇的に変わり、バイーアはほとんど同じ。
そういう本ではないのだが。
(タイトルの元になったダリウス・ミヨーの「Saudades do Brasil」コルコヴァードという曲がyou tubeにあったのでメモ)


湊千尋『レヴィ=ストロースの庭』
(NTT出版)
確かに、レヴィ・ストロースが撮った写真の大半を占める先住民がくつろいでいるようなだらだらしているような情景は、「庭で過ごす人々」という感じもする。ちょっと悲しい感じのする庭。
広場ではもちろんない。

鳥を探しに

何冊かの本を並行して読んでいると、その中身や登場人物がごっちゃになる。
酒を飲んでいるうちに、誰かの言ったことを、自分の言ったことや考えたことと勘違いしてしまう。
あの歌とこの歌も、いつのまにか混ざってしまう。
そんな現象は歳をとるとともに増えていくが、何も老化だけに特有の現象でもない。
時を遡っていけばいくほど、つまり脳のなかの過去というのは基本的にそういう特徴をもっている。
そういう混乱は苦手という頭脳明晰(?)な人にはあまりお勧めできないが、頭の中の霞んだような状態も積極的に好きだという人(?)には、強く勧めたい素敵な本だ。

平出隆『鳥を探しに』
コラージュという手法を使った600ページを超える大著。寝転がって読むとさすがに腕が痛いが、読みにくいという感じはない。(一部、北極圏の冒険譚をのぞき)劇的なストーリーが展開するわけでもないのに、不思議である。
読み進めていくとすぐ、「私の祖父」が翻訳したという探検家の文章から翻訳者の声が聞こえはじめ、国境としてのベルリンが対馬海峡やロンボク海峡と重なり、あの時代とこの時代、あの鳥のとこの鳥といった具合に話がまざり、ととにかくごっちゃになっていく。そういう仕掛けになっている。
この面白い本が終わってしまっても、私たちは心配する必要がない。いくつかの本を並行して読みながら、夢うつつに暮らしていけばいいのである。

あまり関係ないが、最近ときどき鳥の鳴き声を集めたCDを聞いている。
いつになっても鳴き声と名前が一致してこない。
もちろんこれは、いろんな記憶がまざってしまっているのではなく、最初から違いをろくに認識できていないのである。