南国系?(読書)

サルマン・ルシュディ『ムーア人の最後のため息』
インドとイベリア半島の関係を背景に描いたルシュディ(ラシュディ)の壮大な小説。個人的にちょっと思い入れのある本で、十数年翻訳を待っていた。ストーリーは非常に濃密であり、確かに「究極のマサラ小説(帯のコピー)」かもしれない。

和田昌親『ブラジルの流儀―なぜ「21世紀の主役」なのか』
気楽な読書ではあるが、内容が薄すぎる気も。こういう本が普通に出るくらい、ブラジル経済が好調ということだろう。

西條勉『「古事記」神話の謎を解く―かくされた裏面』
海幸・山幸と浦島太郎とか「日向三代の物語」のところが印象的だったので、私のなかでは、これも「南国系」。
関係ないけど、最近私の母が兄に日本神話を読み聞かせる古いテープが発掘された(スサノオが泣いて暴れたりするところ)。結構力が入っていて、迫力がある。私は童話とか絵本といったものより、神話や昔話みたいなもののほうに魅力を感じることが多いが、たぶんこの辺にルーツがある。

Japao (A Paz)

ジョアン・ドナーとジルベルト・ジルの共作で「A Paz(平和)」という曲がある。
歌詞には「Japao」という言葉が入っていて、少しどきっとする(詳細はここに書かないけど)。
私もだいぶ前に訳して歌ってみたのだが、A Pazというところをへいわ~♪と歌うとどもしっくりこなくて、最近は歌わなくなっていた。
尊敬する大貫妙子さんは、この曲に「Japao」というタイトルをつけて歌っている。

Japao 渡り鳥の群れ 北へ帰る春
月夜の島影 またたく漁り火 入り江のさざめき
……
Japao あなたと歩こう 手をつないで歩こう
あなたのいる場所 いつか帰る場所 その胸のなかへ

という感じ。これのほうがずっといいかもと思うので、次回のイベントで歌ってみることにしよう。
「ジャパン」と名のつくイベントを考えたのは、ほんの偶然で軽い意味しかなかった。
今は、少し重い感じもあるのだけど。

私はイベント冒頭に、これを含めて2曲ほど演奏する予定です。
その後、ノヴ吉田さん、heliさん、柴原公明(しばろん)さんが素敵なライブをやってくれます。
また、こんなときなので、出来るかぎりお客さんにも演奏していただいて、みんなで楽しめるよう、飛び入りの時間も設定しました(9時半くらいから)。

ぜひ、気軽に遊びにきてくださいませ。
歌ったり、おしゃべりしたり、飲んだりしましょう。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ボッサ Made in Japan@大塚
2011/4/17(日) 19:00open 19:30~
Charge 1000円+オーダー
場所: Espeto Brasil (豊島区南大塚3-29-5光生ビルB1)
http://aka.gmobb.jp/espetobr/index.html

*チャージは演奏者のカンパを加えて今回の地震被災地への義援金となります。

選挙メモ

特にまとまった考えがあるわけではなく、差し迫って誰かに意見を伝えたいとかいう話でもない。
なんとなく気になったので、後で自分で確認したくなるかもしれないし、メモしておく(老化)。

奇妙な選挙だった。都知事選の結果はほぼ予測通りだったし、結果がどうという話ではない。
そもそも、ほとんどの人に今、選挙とかやってる場合なの? という思いがあったんじゃないだろうか。
それでも、奇妙な「義務感」があり、人々は動いた。静かに、淡々と、表情を変えずに。
なんていうか、選挙自体、自分を含めた「幽霊たち」がやってるような、そんなヘンテコな印象があった。いまひとつうまく言葉にならないので、もどかしいのだけど。
でも、なんとなくこの雰囲気は不吉だし、危険な香りも少しする。

以下は、私自身の投票行動など箇条書き。
・長いことAdios Americaという曲で「石原いらない」と歌っている通り、反石原を標榜している。嫌いなのは、特に彼がレイシストだという点だろう。
・混乱に乗じて「東ブーム」みたいなのが起きたら、石原支持もありうるか? などと考えたが、起きないようなので、いつも通り共産党に入れた。今回は原発のこともあり、もう少し善戦するかと思ったが、それはなかったようだ。
・自分たちの「発電機」が大暴れし余所さまで迷惑をかけ、都民もびびってるときに「東京は日本のダイナモ(発電機)」。あまりにも不謹慎すぎるのか、単に訳がわからんのか、誰もとりあっていない様子。
・わりとまともに見えるのが極右(?)と共産党、という状態は、しんどい。
・減税党は地方レベルだと正直よく分からないが、国政レベルなら意味もあるんじゃないのかと、ぼんやり思う。復興の話をすると必ず財源、とかいってブレーキをかけてる今の状況はよくない。

かみさまのごかご

とことん愉快で元気な曲にしようと思ったのだが、出来てみるとそうでもないかな。
ひねくれた陰気な性格はよくない、と本当に思う。
ジャヴァンみたいな、かっこよくも楽しい演奏はできないし。
でも、精一杯の脳天気さ、根拠な希望、から元気などをこめてみました。
「神さまのご加護、きっとあるよ♪」

ジャヴァン「神さまのご加護 E Que Deus Ajude」
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/deus.mp3

仕事やめよか 未来のスター
あしたリオデジャネイロゆく 高速列車にとびのる
昨日の僕にはさよならさ さよなら

あした晴れたら出かけるのさ
夏は)リオデジャネイロゆく 2月はすてきな季節さ
昨日の僕にはさよならさ さよなら

誰もあらがうことのできぬ魅力でアメリカも夢中
行く当てのない広いリオデジャネイロで
神父の友だちが 友だちの 友だちが「神さまのご加護あれかし」と
あるといいね あるかもね
「神さまのご加護あれかし」と あるといいね あるかもね
あるかもね きっとあるよ きっとある

読書など

あれ以来、しばらく読書の記録もつけてなかった。
読んでいた本は、なぜか20世紀クラシック音楽に関するものが多かった。

岡田暁生『「クラシック音楽」はいつ終わったのか?―音楽史における第一次世界大戦の前後』
これは入門編という感じ。

モードリス・エクスタインズ『春の祭典 新版――第一次世界大戦とモダン・エイジの誕生』
背筋が凍るほど恐ろしく、しかし面白い本。やや極端な見解も含まれるが、とても刺激的だ。

アレックス・ロス『20世紀を語る音楽』1、2
このテーマ(20世紀クラシック音楽の通史)にしては、確かに読みやすい。
上下巻でボリュームがあり、最後は気が遠くなってきたが、ミニマルとか比較的なじみのある話になってくると、じわじわ感動してくる(長い本というのは、こういう意味のない感動成分もある)。
巻末に音源案内もあるので、少しずつCDを聴いてみようと思う。

アジット・K・ダースグプタ『ガンディーの経済学――倫理の復権を目指して』
これは音楽関係じゃないけど、タイトルに惹かれて。
倫理と経済というこのテーマはいろんな意味でとても重要だと思うので、ぜひ日本の意欲的な筆者による新書レベルでわかりやすい本を読んでみたい。

変わってしまったものもあるし、変わらないものもある。
ところで海外のみなさん、この事態にあって冷静な日本人をあまり称えすぎないでください。
私たちは、恐れで凍っているだけなのです。本当は泣きたいし、叫びたい人もたくさんいる。
もっと泣こう。それから、笑える人から、笑おう。
そして、周囲にある「悪いもの」に気づいても、ヒステリックに叩かないようにしよう。
自然の猛威よりも人間が恐ろしい、という風にならないように。

被災したすべての人々のために祈ります。

花と棘

ほんのたまに、この曲を日本語化できないかといわれたりする。
嬉しいけど、結構冷や汗ものの場合もある。思い入れのある曲だったりすると、がっかりさせる可能性のほうが高いだろうし。
今回は、4月にライブでご一緒させていただくノヴ吉田さんからの有り難いご相談である。正直いって、知らない曲だった。
そして、こんなことがなければ、たぶん自分から日本語化することはなかった曲。
でも、なぜかえらく楽しくできた。
大人の男と女。お子様な私にはちょっと不思議な、でも少し覗いてみたい世界ではある。

花と棘
A flor e o espinho (Nelson Cavaquinho, Guilherme de Brito e Alcides Caminha)
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/espinho.mp3

君の笑顔さよなら
ここには痛みがある
今の私は棘よ
花には触れない
太陽を愛しても月は
君のそばにはいられないよ

鏡に映る心はまだ
こぼれそうな涙をこらえ
花にはなぜ 棘がある?
愛を傷つける棘よ

スウィングタイム、あるいはもうひとつの日本文化

古い日本のジャズ、とりわけ戦前のものに心を惹かれるという話は前にもどこかで書いた。
そんなわけで、毛利眞人『ニッポン・スウィングタイム』は、期待して読んだ。帯には「昭和文化史の書き直しを迫る」とあり、勇ましい。確かにすごい情報量で、戦前にこれほどのジャズ文化が花開いていたんだということは伝わってくる。
そのうち、CD化されているのはごく僅か。もっとたくさん聴いてみたい。

とはいえ、読み進めていくうにちなんだか飽きてきてしまった。「ホットな演奏」だの「レベルが高い」だの「凝ったアレンジ」だの「アメリカンなフィーリング」だの、音の説明を聞いていても何か違うという気がしてしまう。
まあ、私自身ホットでもないしレベルも低いし、音楽に対するそういう見方が苦手というのもある。
私が漠然と惹かれている「戦前のジャズ」は、もうちょっと違うもののような気がした。もしかしたら、それは本当はジャズですらないのかもしれない。

そんな風に思いはじめたところで、読んだのが渡辺裕『日本文化モダンラプソディ』。これが、とにかく面白い。もっと早く読まなかったのが悔やまれる本だ。
邦楽改良と「新日本音楽」、大阪における洋楽の受容、宝塚と国民劇構想といったテーマを語りながら(その細部もひとつひとつが面白い)、今はなくなってしまった「日本文化のもうひとつのあり方」について語る。それは無理に要約していうと、折衷的であり、革新的であり、ついでにやや帝国主義的なものだ。
私が「戦前のジャズ」というものに惹かれていたのは、もしかしたらこういう部分であったかもしれない。もし、音楽をはじめとする文化をめぐる歴史が別なものになっていたら……という想像をかきたてられるだけでなく、自分のなかには隠れた右翼的な部分にも目を向けさせられる。
読みながら、「外に対しては自分もよく知らない日本文化を誇り、内に対しては外国文化の『本場度』を誇る」という訳のわからない態度の奥にある問題の根は深いなと思え、やや暗い気持ちになった。そういえば、私自身もそれとまったく無縁というわけではないし。
なんにせよ、とにかくお勧めの本です。

カエターノ特集その3(同性愛?編)

カエターノはこの2つの曲で男性の美しさ、素敵さについて歌っているようだ。

リオの少年 Menino do Rio
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/menino.mp3

レオンジーニョ Leaozinho
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/leaozinho.mp3

どちらもすごくいい歌詞なのだが、特にMenino do Rioのほうは、どうしても同性愛っぽい感じになってしまう。それでいいのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。その辺を超越した強さをもたせたいのだけど、私の力ではちょっと無理かなあ。

リオの少年♪
リオの街の 焼けつく日射しの
ドラゴン 入れ墨の腕も
短パン はだけた胸も
心 打つほどに美しく
風がふけば 彷徨う君のことを
思い出し 祈るよ

ハワイ? ここで夢見ればいい
胸のおく 波の音は
君の心 僕の心

Menino do Rio 君のための歌
キスとともに贈ろう

短編集の一作目、アルバムの一曲目

冒頭の作品というのは、セールス的な意味でもキャッチーな力作を置くことが多いんじゃないかと思う。
少なくとも私はアルバムの一曲目に思い入れのあるものが多く、極端にいえば出だしの思い出せないアルバムというのは、イコールあまり好きじゃないアルバムと言えるくらいの気もする。
長編小説なんかでいえば、冒頭の一行に近いのかもしれない。場合によっては作品全体を決めてしまうような力があるわけだ。

さて、『変愛小説』は「れんあい」じゃなくて「へんあい」だそうだ。
恋と変の字が似すぎていてやや地味なタイトルになってしまっている気もするが、とても面白いので2冊とも読んでしまった。
ストレートすぎる恋愛小説はさすがに読むのが恥ずかしいんだけど、これなら、というところかもしれない。んでもって、どちらもみごとに一作目だけが記憶に残りそうで、それはそれでやや損をしたような気分もなくはない。
一冊目の冒頭は、木に恋した人を描いた散文詩のような美しい作品。
二冊目の冒頭は、イケメンばかりの島に流れ着いたギャルの愉快な語り。「彼氏島」というタイトルも、とにかく笑える。
どっちも、訳者である岸本佐知子さんの力量がなくてはここまで素晴らしくならなかっただろう。

ところで、たぶん時代は捨て曲は買いたくない、好きなものを好きなだけチョイスして読む、という感じなのだろう。本一冊、レコード一枚とかいう物理的な大きさはもう意味がないし。もしかしたら、2冊の短編集のうちでこの2作を読めばいい、という考えも成り立つのかもしれない。
しかし、なんとなく寂しい気がする。
装丁とかジャケットデザインも大事だけど、どちらかというと、この物理的制約による「無駄」や「余計なもの」「駄作の入り込む余地」がなくなってしまうのが、寂しいのだろう。
(とりあげた短編集に駄作がたくさんあったという意味ではありません)

謹賀新年(うさぎあれこれ)

新年早々いきなりドメスティックな話題で恐縮だが、わが家は夫婦ともにフリーランスなので非常に不安定な仕事っぷりである。
なので、年賀状くらいはちゃんと書いて人々に思い出していただき、仕事でももらえたらなあなどと都合のよいことを考えている。もう年賀状なんかいらないんじゃないの? という意見もよく聞くようになり、私も「そうかも」とは思うのだが、そうなると、本当にダイレクトメールを出さなくてはならなくなるかもしれない……。

年賀状製作は妻の得意分野なので、私は主に横で見ていて応援するくらいなのだが、図案のアイディアをあれこれ言ってうるさがられたりもする。今年は兎年ということで、「ミッフィーとキャシーが仲良くお茶してるところはどうかね」とか「大きな日の出の写真に点ふたつと×つけようか」とか、なんとかミッフィーを忘れようと苦しんだ。私にとってうさぎ界におけるディック・ブルーナの存在は、いわばボサノヴァ界におけるジョアン・ジルベルトに近いものがあるのだ。
そんなこんなで、今年もますます調子はずれにやっていこうと思いますので、みなさまどうかよろしくお願いいたします!