伝統、あるいは元本保証

突然変異はランダムに起きるし、生命は否が応にも変わっていく。
そして生命の巧妙さは気の遠くなるような時間によって生まれた奇跡だ……。
そう教えられてきたような気がするが、なんとなく変だなとは思っていた。
「神の手」とまではいかないまでも、自然はもうちょっとだけ「意識的」であり、「方向性」や「傾向」のようなものが少しはあると感じられた。

進化のメカニズムなんてどうでもよいことではあるだろうが、気になるのは、やはりそれが文化や社会のメタファーとしてかなり力をもっているからだろう。
たとえば私はスポーツニュースなどで多用される「進化」という言葉がどうも好きになれないのだが、それにもたぶん理由がある。
私たちは日々喩えや擬人化の世界を生きているわけだ。

「元本保証された多様性の創出」を基本とする「不均衡進化論」は、まだ主流の理論としては認められていないのかもしれないが、非常にシンプルで妙に腑に落ちるところがあった。
生物学的な説明は私には難しいので、あくまでも文化的に譬えると、かなり身も蓋もない話となる。
伝統はちゃんと守りながら、新しい試みはどんどんやっていく、いわばメリハリをつけるという、ごく当たり前の話。
常に変わり続けるばかりが能ではないというのがポイントだろうが、どこかに伝統をしっかり守っておけば、あとは失敗してもいいからどんどんチャレンジしようね、という部分を強調することもできる。あるいは、変化は常に一定の速度で起きるというより、起きるときにまとめて起きるというというところも重要だろう。
それはともかく、私のような無駄の多い変異のほうにばかり心惹かれ、どちらかというとリスクの高い投資を好むタイプでも、誰かがどこかで「元本保証」をしていると思うと、心安らかに好き勝手をしていいよと言われたような安心感があるのだ(笑)。

カエターノ特集その2

歌詞がしっくりこないのでレパートリーから外れていた「サンパ」をなんとかしようと悪戦苦闘している。
大好きな曲なので、本当はいつもやりたいのだ。
とりあえずひと段落したが、また変えたくなるかもしれない。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/sampa.mp3

あと、もうひとつは「オダラ」。
これは初録音かどうか、よく覚えてない。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/odara.mp3

サンパ
何かが心のなかではじける
交差点の真ん中 立ち止まる
あの頃 途方に暮れていた
街角から コンクリートの詩が響く
みすぼらしい 女たちの装いは
あの頃 知らなかったリタ・リー
あなたの歌 まだなく
何かが心のなかではじける
大通りの真ん中 立ち止まる

この街 初めて向き合ったころ
鏡のなかには 醜いもの
昔馴染みの 顔はなく
見知らぬ何か 恐れ抱いて
ガラスの街 立ちつくす ナルキッソス
都会に幸せな夢を見れば
やがて現実となるのに
だけど僕にはそれも出来ずに
鏡の奥の裏の裏へ

果てなく続く列 貧しい人
お金の力 壊された美しさ
星空も消える 煙のよう
深い森から やがて現れる
この街を称え 雨降らす神々が
サンバが響く ユートピアとしてのアフリカ
新しい国 キロンボ・ド・ズンビ
そんな可能性を思いながら
霧雨のなか 少し夢を見る

カエターノ特集

最近、カエターノ熱が再び地味に盛り上がってきたので、いくつか録音してみた。
まずは、「インディオ」。
確かだいぶ前にライブで何回かやった記憶はあるが、録音したのは初めてだと思う。
自分でも感心するくらいの珍妙な録音。ある意味、これまでで最高の出来かもしれない(笑)。

http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/indio.mp3

これができたのは、ちょうど昨日、都内某所でDoces BarbarosのDVDなどを見てトロピカリア・スピリット(?)をいただいてきたお陰かも……(シャクリーニャのドキュメンタリーも見せていただき、これもとても面白かった。勝手ながら、誘っていただいたMさんにこれを捧げます!w)。

インディオ
七色に輝いているあの星から
目の眩むような速さで君は降りてくる
南の大陸の真ん中で静かにその目を閉じて息を吸う
最後のインディオの国が滅びた後で
鳥たちの心 透明な水の滴
あらゆる文明よりもはるか前をはるか先にはるか遠く

今 その勇気を モハメド・アリに 垣間見る
誇り高きグアラニの 物語
沈黙と正義はブルース・リーの記憶に
音はリズム、フィリョス・ヂ・ガンディーと 今

確かな肉体のなかに彼はいる
すべての気体と固体と液体のなかに
あらゆる言葉、心、匂い、光と陰、色と音の磁場に
ふたつの大きな海から等距離の場所へ
輝く星から降りた一人のインディオ
この世の物事を明快な言葉で語ってくれるだろう

その瞬間に人々は初めて知るだろう
誰もが目を開き気づき驚くだろう
かけがえのない他者という名の自由が今もそこにあることを

もうひとつは新訳で「Ca Ja」。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/caja.mp3

一握の砂 一粒にも 光の渦が 見えるだろう
波のあとには 新たな色 溢れる愛が 見えるだろう

今ここは花よ石よいつか
今ここは時の甘い蜜が
高らかな鳥の歌、今

大いなる時 小さな音 妙なる響き 聞こえれば
風鳴らす海 羽ばたく土地 心の動き 聞こえれば

今ここは花よ石よいつか
今ここは時の甘い蜜が
高らかな鳥の歌、今

カエターノをやるとどうも固い感じの訳になってしまう。もう少しやわらかい言葉でそれらしい雰囲気を出せればいいなといつも思っている。
「一握の砂」はやりすぎかもなあ、と思っている。しかし正直、どうしたらいいのかよく分からないのだ……。

雨、大糸線、そして小田急線

祖師谷大蔵のムリウイでライブは、もう何年ぶりかの2度目だった。
確か、あのときはいつもライブをさせていただいていたお店がなくなってしまい、友人に教えていただいた情報をもとに自分で売り込みにいったのだった。
ここへ来ると、素晴らしい空間とお店がもつ温かい雰囲気にいつも感激する。夏がいいと思ったけど、冬もいいです。
heliさんの意欲的な企画に誘っていただき、深く感謝。そしてパーカッションのビリンバカ前田さんも素晴らしいサポートをしてくださった。
私も前田さんも細かいミスはたくさんあったが、全体によいユニットなんじゃないかとひそかに思っている。私のなかでのユニット名は「チキン・ビリ・アット」。もちろん、インド料理のあれ。

さて、今回はいつもよりちゃんと準備したので、曲順のメモも手元にある(いつもはかなりいい加減にその場で決めたりもする)。

1イパネマの娘 2クリスマスのプレゼント 3ロボ・ボボ 4メタフォラ(暗喩)(ジルベルト・ジル)
(前田さん登場)
5カンタ・ブラジル~ブラジルの水彩画 6田舎の列車(ヴィラ・ロボス) 7サムライ(ジャヴァン) 8プレコンセイト 9ばくてりやの世界(オリジナル) 10カンデイアス(エドゥ・ロボ) 11トローリー・ソング 12豆事情(オリジナル)

いわゆるボサノヴァは少ない。なんとなく、今回はそのほうがいいような気がしたのだ。以下はビリンバカ前田さん提供の映像。どれも前田さんのパーカッションがいい雰囲気をつくっている。
後半のheliさんが演奏しているあいだに雨が強くなった。少し寂しくも温かいあの晩の空気は何やら特別なものだった。(heliさんの演奏はこちらで!

ばくてりやの世界(萩原朔太郎=詩) 前田さんが暴れていて面白い。 

「好き」と「嫌い」の間

私はとにかくボサノヴァが好きで好きでたまらないんだろう、と思っている人もいるかもしれないが、そういうわけでもない。むしろ、一般人よりボサノヴァが嫌いともいえるかもしれないのだ。
それはともかく、有名なボサノヴァ曲のなかには、苦手だなーという曲がいくつかある。
「Samba de Veraoサマー・サンバ」は、そのなかのひとつだ。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/verao.mp3
お聞きの通り、翻訳もどこか斜めな感じにならざるをえない。
ついでにいうと、この曲をつくったマルコス・ヴァーリという人もなんとなく苦手だ。私はリオの小さな店でこの人のライブを見たのだが、あまり「いいね」な感じがしなかった。とはいえ、こういう「嫌い」はすべて「好き」の裏返しではあるのだろう。
マルコス・ヴァーリの悪口をこんなに真剣に言ったり、やや悪意のある翻訳をしたりする人間は、ボサノヴァ好き以外ではあまり考えられない(笑)。

♪サマー・サンバ
私いいのそれでいいの
愛は何も求めないの
いつもそばにいてくれたら
それでいいの 今はいいの
ほら 夏がくる
熱くなる あなたとすごす夏待ちきれない

夏はいいね すごくいいね
冬もいいね 逆にいいね
海はいいよ 山もいいよ
それはいいね とてもいいよ
ソーナイス! いいんじゃない?
どれもこれもすごい いいんじゃない?

反知的独占

いろいろ書くと墓穴を掘りそうなので、とりあえずお勧めするだけにします。
特許や著作権に違和感を感じている人だけでなく、イノベーションや創作について真剣に考え、経済的に、そして倫理的にも望ましいあり方を求める人にとって必読の書だと思う。
とはいえ、文章は難しくはないけどなんとなく読みにくく、必ずしも通読する必要はない種類の本だと思うので、図書館などで借りるのもいいかもしれない。

人望あるボッサ野郎とは……

11/25(水)のムリウイでのライブ、ご一緒させていただくビリンバカ前田氏がこんなマンガを描いていたので、さっそく転載を依頼した。よく見ると右端が告知になっていて、ご自身のユニット(たぶんBossaギャルも登場?)も満を持してライブを行うらしい。私としても、負けずに鼻を大きくして歌おうかと思うが、私見ではジルの特徴は「鼻の穴」ではなく、「鼻の下」にあるのではないだろうか。

何より愉快なライブ告知法を見習いたいが、私にはこの方面の才能がない。実は昔、よくマンガを描いていたのだが、どれも恐ろしくつまらなかったのである。
そんなわけで、以下は今後の予定です……。

★Live at 祖師谷大蔵ムリウイ
2010/11/25(木) 19:00~
出演: heli(vo. g)、ビリンバカ前田(perc)+OTT(vo. g)
Charge 投げ銭
場所:
 Cafe Muriwui (世田谷区祖師谷4-1-22-3F)
素晴らしいロケーションで大好きなムリウイは、すごく久しぶりです。ご一緒させていただくのは、ボサノヴァ弾き語りのheliさん。今回は「日本語とボサノヴァ」がテーマらしいです。パーカッションの前田さんも、きっと気持ちのいいどこかへ連れていってくれます!

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★Live at 二子玉川バーライラ
2010/12/12(日) 19:00open 20:00~
出演: タケシィ(唄、三線)、柳家小春(江戸小唄、三味線)、OTT(唄、g)
Charge 席料1000円+2オーダー+投げ銭
場所: Bar Lialeh (世田谷区玉川3-15-12)
沖縄vs江戸vsブラジルということなのか、単に弾語り3人揃えただけなのか、尊敬する柳家小春師匠、そしてタケシィは初めてお目にかかります。お店にはミッフィーもたくさんいてなごめます。

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★そっと新年会@大塚エスペト・ブラジル
2011/1/8(土) 19:00open 19:30~
出演: ramuchi2000GT(vo. g)+OTT(vo. g)+ゲスト
Charge 1000円+オーダー
場所:
 Espeto Brasil (豊島区南大塚3-29-5光生ビルB1)
ライブは前半1時間、あとはたっぷり「飛び入りタイム」を設定します。新しい年を迎えてステージでちょっと歌ってみたい、演奏してみたいという方も気軽に遊びにいらしてください。もちろん、ブラジル料理屋さんならではの飲み物や食べ物も楽しめます。

四葉のはなし

「四葉」というかわいい曲を好んで歌っているが、私がはじめて聞いたのは例によってジョアン・ジルベルトの「伝説」というCDである。
どうやら、アメリカの曲らしいと聞いたので、いくつかの英語ヴァージョンを聴いてみた。

これがもっとも有名なヴァージョンらしい(1948年、Art Mooney & His Orchestra)。
ところで、それとは別に最近、ある方に聴かせてもらったのが「ジョアンとは別のポルトガル語版四葉」であった。
やはりYou Tubeにあるというので調べてみると、なんとノエル・ホーザによる替え歌と書いてある。

それなら、もしかして家にもCDあるんじゃないかと思ったら、やっぱりありました(14枚組、まだ全部聞いてなかった……)。
Belo Horizonte 歌っているのはCarlos Didier、1935年だって。
歌詞はなんというか、ジョアンのはちゃんと四葉のクローバーだけど、こちらはちょっとした「戯れ歌」みたいな感じ。でも結構、味がある。

改めてI’m Looking Over a Four Leaf Cloverについてウィキペディアで調べてみると、作曲は1927年だというから、ちょっと驚きだ。1948年に大ヒットする前にノエル・ホーザはもう替え歌作ってたわけだ。
分からないのは、ジョアン・ジルベルトが歌っている歌詞でもっと古い録音はあるのかということ。
あと、戦前のアメリカ録音もぜひ聴いてみたいものである。
というわけで、みなさん四葉について情報提供よろしくお願いいたします!

↓我が家の家宝ノエル・ホーザのボックス・セット。

テルミー

テルミー
なぜ この胸は こうさびしい
なぜ 君と逢う その日だけ楽しい
なぜ 別れ路に 出る吐息が
君の答えおば なやむ身に与えよ

これは、先日の二子玉川ライラでのライブ、対バンの2525稼業さんチャーリー高橋さん岡野勇仁
さん
が演奏したたくさんの素敵な曲のうちのひとつ。私も、結構この辺はCDなどで好んで聴いているのでとても嬉しかった。
改めて歌詞を眺めてみると、ボサノヴァ日本語化計画と非常に近い直訳的世界だということが分かる。古いジャズ時代にはあったこういう感覚が、今はどちらかというと珍しいものになっているわけだ。拙いかもしれないけど、ストレートに伝わる。あまり恰好つけすぎない。そして、歌はみんなのものという前提のようなもの……。
そんなわけで、日本という場所から世界中の音楽を眺める独特の在り方も含め、チャーリーさんたちの試みは、とても共感できるものだった。

おっぱいとトラクター、そして誤訳について

ひさびさに本を読みながら涙がでてきた。理由はよくわからないが、よい小説だと思う。もしかしたらそのときお酒を飲んでたとか、ベタベタのメキシカン・ボレロを聴いてたとか、そういう理由も少しはあるかもしれない。

本を読み始めてしばらくは、実は誤訳のほうが気になって、「こりゃ、せっかくの本も翻訳がなあ」なんて意地悪なことを考えていた。
ウクライナの話なのに、ウクライナ国旗が空の青とトウモロコシの黄色なんて書いてある。コーンというのは穀物全般だから、この場合はどう考えても麦だろう。(*2012年追加:本当に麦なのか自信がなくなってきた。国旗はともかく、ウクライナって結構トウモロコシ食べているんでしょうか? もし詳しい方がいたら教えてください)あまりに初歩的かつ目立つ誤訳なので、きっと訳者もあちゃーと苦笑しているに違いない。
でも、読み進めていくうちに、そんなことはどうでもよくなってきた。小説だけでなく、その翻訳も勢いがあってすごくいいのだ。

誰にも避けることのできない間違いいうものと付き合うには、2つの方法ある。
ひとつはもちろん、なるべく気をつけて慎重になること。もうひとつは、間違いを積極的に味方につけてしまうというもの。前者の欠点は、細かい点を考慮すればするほど、間違えたり、間違えに気づいたりする可能性はさらに高まるということ。そして、間違えの少ないものというのは、なんでも結構つまらないものだ。
冗談ではなくて、トウモロコシの黄色には詩的な真実があるかもしれない。そういうことは、人生のなかですごく多い気がする。
なんか自己弁護っぽくなってきたのでこの辺でやめておこう。