解説:脇坂史彦マンガの世界

text by ott wakisaka

『清廉』の第1ページ。コマ割の枠線はない。
左上から下へ、つづいて右上から下へ読むのが基本だが、
絵と絵、絵とテキストの全体的な統一が図られている。

脇坂史彦のマンガは、一口に「マンガ」と名づけるにはあまりに異質なものを多く含んでいる。
 枠線のないコマ割自体が特殊なルールに従い(図版参照)、時にそれらは上下、左右に緊密に結びつき、直線的なストーリー展開を拒否する。また時には、絵にかわってテキストがその主役を奪い、それは小説のようでもあり、詩のようでもあり、脚本のト書きのようでもある。繊細かつ大胆なタッチと野心的な構図で驚かせるその絵と並んで、テキストの完成度にも目をみはる。

それでもなおこれは本人が言うようにマンガと呼ぶしかないのだと思う。
 それだけ多くのものを日本のマンガの伝統に負っていて、その正当な後継者として位置づけられると思うからだ。
 絵とテキストの見事な連携、あらゆるジャンルの要素を吸収する貪欲さ、容赦のないパロディ精神など、マンガの持っている表現の可能性の大きさがここにある。

作品の多くはA4版のノートや「おえかきちょう」にかきなぐられたもので、いわば下書きの域を出ないものも多い。ただ、なかには『清廉』『十五夜』などのように清書されたものもあって、これらの作品をその下書きと比べると、最初の下書き段階でもかなり作品の意図を実現していることがわかる。断片的なエピソードや、時に荒いタッチ、一般に共有されているとは言い難い彼のマンガの特殊な読み方(ルール)もまた、その作品世界の本質につながっていると思われる。

今回はインターネットというメディアの限界を承知しつつも、なるべく原作の意図や味をそのまま伝える形でこれを公開しようと試みた。紙面のなかの絵やテキストの結びつきの強さは失われる傾向が強いが、それでもある程度は実現できたと思う。紙の上では実現不可能な別のリズムさえあるように思えて興味深い。
 発表されることを必ずしも前提にしていないこれらの作品がこういう形で読めるということには、単に「陽の目をみた」以上の、時代の必然のようなものを感じずにはいられない。

作品解題

シリーズ I (〜1999)

4番線

某出版社のゲラ刷りの裏に赤い水性ペンで書かれた一種の落書きで、タイトルはない。蒸気機関車の登場以来、列車を怪物にたとえる比喩は数え切れないが、これだけシンプルかつストレートに表現したものも珍しいだろう。正面が顔の列車だって、機関車トーマスをはじめ見慣れているはずなのに、このインパクトは何だろうか。

清廉

絵の完成度といい、構図といい、各コマとテキストの流れるようなテンポといい、ギャグの冴えといい、もっとも完成度の高い作品。鉛筆で書いた下書きとペンで書いた清書(公開中のもの)があるが、ほとんど違いはなく、作者の確信を感じる。タイトルの清廉はセイレーン(人魚)からきているが、それ以上のことは不明。クリオネって本当にこんなコワイ動きをするのでしょうか。ご存知の方は教えてください。人魚姫が読んでる『南海スポーツ』の見出しに「M・K砲不振」なんて見出しがあるのも、お見逃しなく。

十五夜

『清廉』と並ぶ傑作。もともとのタイトルはなし。太陽と月、現代と古代、昼と夜など、対概念を巧みに織り込み、その大胆なストーリー展開は誰にも予想できなかっただろう。ラストはちょっとしりあがり寿的な強引な感傷で終わるが、それにしてもこのスケールは負けていない。サラリーマン(望月さん)の台詞のリアルさは負けるかも知れないが、これはやはり社会経験の差か。こちらには吊広告に「聖子いびりぬく」の見出しが。

スフィンクス

日記というか、詩というか、かなり個人的な作品。タイトルもない。それでも3コマ目の日記の細部とか最後の可愛い犬などはちょっと漫画的で面白い。

しんかい200

細いボールペンで書かれ、ところどころに修正のあとが見られる。たぶん未完。その後の展開がどうなるのか興味あるところだが、どこまで構想していたのかは不明。最近はしんかい6500とかが出来てるらしいが、これを読んで以来、潜水艦がテレビに出てくるとなんとなく笑ってしまう。「へんなネッシー」「カリブの海女さん」などのネームもよい。実に味わい深い作品である。

修羅の部屋

横罫のノートに書かれた勢いのある作品。もっともストレートに笑える作品のひとつかもしれない。「修羅の店(部屋)」はゲームセンターのことか?最後の黒柳徹子はまるで似ていないが、書き込みようがスゴイ。最初のコマとの対照にも注目してほしい。

ミスティー

これもタイトルはなし。ミスティーはかつてNHK教育テレビの子供向け番組にでていた猫のキャラクターで、ミッフィーのパクリではと一部で問題視されていた。「名誉市民都議員会長」なる役職が実在するかは不明。サイン会にミッフィー親子がやってきて、焦ったミスティーが急いで色紙を片付け、非常口に向かうというストーリーだが、やや分かりにくいか。最後の会場がざわついた感じがリアルで面白い。

牛乳のつくり方

マニュアルっぽいこのスタイルは吉田戦車の影響か。それにしてもなぜ途中で乳しぼりのお兄さんの顔が牛になっているのか、そのあたりは不明。「牛よありがとう」の歌がすばらしい。

創世記

作者自らの夜のマンガ創作と創世の神話を重ねたものか。タイトルはなし。旧約聖書がいつのまにか最後は般若心経で終わっており、まるで人間の煩悩への鎮魂歌のように響いている。

できるかな

ノッポさんは喋ってしまったが、ゴン太くんは相変わらず。あの語りの人は何という名前かご存知の方は教えてください。イメージとしては『マカロニほうれん荘』のキンドーちゃんに近いのだが。

3人目が一番よ!

自伝的というか、脇坂家の状況を元に書かれたと思われる作品。たとえば実際の父親も眼鏡をかけており、女の子がほしかったとよく語っていた、などなど。タイトルの元になった発言があったかは不明。とはいえそういう想像をすると楽しめないので、鐘をつく雀をはじめ、かわいいキャラクターたちをそのまま受け入れましょう。

自然淘汰と進化論

おえかきちょうの一枚に書かれた小品。地味な作品だが、彼の漫画家としてのスタイルが凝縮している。とぼけた語り口と絵のちょっとしたズレ(4コマ目のDNA)、そして書き込みによって生み出されるリズム(最後のコマ)など。テレビや本に溢れる競争を煽るようなダーウィニズムに辟易している向きに、案外、ぐさりとくるのでは?

ピラミッド

A4の紙一枚に描かれた小品。タイトルはなし。原画はエジプトの壁画のように線が美しいのだが、HP上ではそれがうまく再現できずに残念。鞄を背負った、学校帰りの子供みたいに喋る神々の台詞はちょっと文明論じみているが、あっさり終わってしまうところが面白い。

スケルトン

「おえかきちょう」に描かれた作品。タイトルはなし。最初の3コマはよくわからないが、後半へつなぐ一種の「ため」か。RPG(?)のおかしさを知りつくした史彦先生ならではの一発ギャグ。それにしても迫力のある書き込みぶりである。

夜の海

A4版の元数学のノートに描かれた大作。タイトルはなし。もっともシュールで難解、というか、登場人物の名前すらよく分からない特殊な作品である。ストーリーはよくわからないとしても、最後の数コマの簡潔な線による表現は実に美しい。また、学生時代に描かれたせいなのか、メモ入りの英語とか、返り点のついた漢文、註釈、世界史の地図のようなものなど異質の要素を導入し、独特の雰囲気を作っている。なお、英文と漢文の表記、対訳などは、HP表示制限上の問題もあり若干編集を加えた。

ゴニンジャー

 おえかきちょうに描かれた小品。タイトルはなし。軽快な線であっという間に描かれたと思われる。五七調と一文字目を○で囲むこのスタイルは幼児向けの雑誌などで昔よく見た気がして懐かしい。

死後の世界

これもおえかきちょうに描かれた謎めいた小品。タイトルはなし。なんといっても、最後のコマの一つ目の怪物がコワイ。運慶、快慶作で有名な東大寺南大門の金剛力士像が元になっていると思われるが、「拙者運慶ー」「拙者快慶ー」のほうがイメージのなかでは真実のように思える。

リンゴとナシ

おえかきちょうより。タイトルなし。勉強のしすぎ、仕事のしすぎ、という時にこういう症状が現れるので気をつけよう。パンダ(?)にこういうアブナいイメージがつきまとうのは、笹ばかり食ってるからだろうか。そういえば動物園でパンダに殺された飼育係のニュースがあったけど、アナウンサーは「遊ぼうとして思わず」とパンダを擁護していた。本当なのだろうか。

かぞえうた

使用済みコピー用紙の裏に描かれた作品。タイトルはなし。文字に手を入れた形跡がかなりあり、試行錯誤の跡がうかがえる。マンガというより詩に近いが、最後のカタルシスはやっぱり絵。

ナルシス

おえかきちょうより。タイトルはなし。なかなかの大作であるが、やや難解で絵も大雑把な部分が多く分かり難いところもある。それにしても、「てめえのデザートのことなんざ知ったことかよ!」「恋はパルテノン(カラオケの曲名)」「神々の宴(合コン)」など、笑える部分も多い。ナルシスがトイレで目の見えない「乙女」に出会い、何を言おうかとっさに考えている部分などの表現も斬新。ヘラが浮気してる「デュラン」はたぶん「ビバリーヒルズ高校白書」に出てきたキャラクターだろう。ソープオペラとギリシア神話のミックスはなかなか本質をついている感じがする。最後はなんだか分からないがちょっと感動的でもある。史彦先生の自身の恋愛経験がベースなのだろうか。

シリーズ II (2000〜)

このマンガを初めて読んだときは、衝撃を受けた。いがらしみきおが『ぼのぼの』を描き始めたときのよう、とでも言えばよいのか。ほとんど筋らしい筋はないのだが、ひたすら尻尾を振っている狐を見ていると、何だかやっぱり自分は騙されているのではないのだろうかという、不思議な気持ちになってくる。そしてこの狐のかわいいこと! 題辞(?)はこのマンガと関係があるのか、ないのか、その意味するところは何なのか、よく分からない。とにかく、スゴイ。21世紀を迎えるにあたって肝に銘じておきたい名言だという気がする。

四神

長編である。A4の紙6枚、どのページもきっかり4コマ×2列、計48コマからなる。ネット上ではこの構成のパターンが見えにくいのが残念だ。たとえば、たびたび挿入される物語とは無関係の人間たちの会話は、原画では必ず右下8コマ目にあり、次のページへつないでいる。四の神々と三の子供たち、師匠と弟子の対という実に几帳面な構成。息子たちに旅をさせるのは古典的な昔話スタイルだが、産休を知らせるため、というのも愉快だ。子供たちは一まわり成長して帰ってくるのだろうから、朱雀はらくちんだ。

けん ぱ

独立した作品ではなく、「四神」草稿の片隅にあった落書きみたいなもの。可愛らしいので掲載。

終電

夜の駅や電車といった都会の人間には見慣れた情景を、定規で引いた線とカタカナの擬音を多用して描いた不思議な作品。常識的に考えると、ガラガラの車内に乗ったうさぎは上り電車に乗っているのだが、終点はどこか物寂しい。うさぎと亀は一体何を競いあっているのだろうか。よくわからないが、ぐっとくる作品である。一箇所、うさぎの口がミッフィー口になっている個所がるのもお見逃しなく。

爬虫類のふしぎ

解説するのが難しい作品である。おとぎ話風のストーリーはごく平凡だし、これといって目立ったギャグがあるわけでもない。ただなんとなく味わいがあり、キャラクター達もほのぼのしていて可愛らしい。爬虫類ならではのシンプルな美しさを描きたかったのかもしれない。とかげを飲み込み、吐き出して去っていくラストのリズムのよさには感心させられる。

鳩侍

あまり解説を必要としない明快な作品だと思う。語感としては「鮒侍」なんて言葉にも似ているが、鳩侍、いいキャラである。ヒーローはあくまでも正しくあくまでも強い。それが鳩であるというだけでなんでこんなに愛おしく、可笑しいのだろうか。

夕立

こちらも説明のいらないストレートな感動をよぶ作品。日本人の死生観、自然観をそのままとりこんだ作品といえるだろう。夏の風物や時間の移り変わりの描写が見事。ちなみにキヌは脇坂家の祖母の名前。最初は「トメ」にしようと思ったらしいが。

蜂と男

『爬虫類のふしぎ』にちょっと似た作品。複眼てどういう風に見えるのか、本当に不思議だが、もしかしたらこうなのかもしれない。全体にちょっとコワイ感じが、蜂のリアルを感じさせて面白い。「蜜蜂マーヤ」「みなしごハッチ」などとは一線を画す視点だ。

俳句のように美しい作品だ。あんまり解説はいらないだろう。さなぎのなかで幼虫はどうやって蝶になるのか、本当に不思議だが、そのごくありふれた神秘を宇宙の神秘へと軽々とつなげてしまうところが素晴らしい。

ほらあなのピーコ

実にオーソドックスだが、生命への愛にあふれた佳品といえるだろう。お勉強から入るところがまた史彦先生らしい。避妊具にこんな使い方があったのか……。

地蔵行

降り続ける雨が美しい、佳品だ。「笠地蔵」のモチーフを使いながら、むしろ自然の移り変わりに力点が置かれていて、不思議な新鮮さがある。林檎も、そのお礼もどうでもよさそうな、淡々とした地蔵たちのやりとりが心にしみる。

猫の詰め

最近この解説がテキトーになっているという指摘もあるが、私の怠惰ではなく、作品の完成度が上がり、解説の必要性がなくなってきたのが理由である。「詰め」は爪とチェックメイトをかけている、なんて書いてもなあ。

バス算

このテイストの作品はひさびさである。文句なく笑えるが、最後がやや重い感じはする。バスの行き先表示やバス停の名前などにも細かい配慮がされており、要チェックだ。

蜘蛛とマユ

 一時代前の修身の教科書とか(あんまり知らんが)、宗教絵本みたいな雰囲気。テーマは何やら深い感じである。しかしなんといってもこの作品の魅力は、絵の美しさだろう。森の中に張られた蜘蛛の巣の描写が素晴らしい。

冬の風呂

風呂を洗ってお湯を沸かし、入るというごく日常的な行為を淡々と追う。擬音のとらえ方が素晴らしいのは『終電』を思わせるが、最後のお湯に浸かった爽快感はかなり肉感的というか、リアルだ。

寺院

ごく私的な体験から、あっという間に数億年を遡り、円を描くように戻ってくる素晴らしい作品。最初と最後に描かれる祖母の死は本当の話。マシンガントークの祖母が「その人がまた私以上にしゃべることしゃべること」と言ったときには、私たち兄弟は世界は広いものだな、と思ったものである。なお「寺院」というタイトルは遺伝子=geneとかけているとのこと。指摘されるまで気づかなかった。また「シリーズU」では初めてペン入れがされた作品である。

柿の種

オーソドックスに展開する完成度の高い作品だ。都会と田舎、過去と現在と未来、内と外といった対比が見事。田舎を旅行したあとに都会に帰ってくると、確かにこの雀のような気分になる。というか、その既知の感覚を介して、何かがじわりと忍び込んでくる。なんとも微妙な味わいである。

メガネ・ドラッグ

仏教的な世界観(?)のインパクトに目を奪われがちだが、メガネ屋の内装や視力検査の表など、細部に見所が多い。この作品から作者自身がスキャニングなどの作業を行っている。手作業の画作と画面上の修正作業が結びついて、もしかしたら今後作風も変わっていくのか、いかないのか、予断を許さないところである。

九郎ひとしを

ストーリーはきわめて地味というか、その焦点はぼやけている。見慣れたシチュエーションに流されてごくごく自然に読み終わったあと、一体これはどういうドラマだったのか分からなくなるという、ちょっと不思議な感じだ。カメラワークというか、視点の移動が素晴らしい。テストが舞い上がるシーンなどは構図だけで何か心を揺さぶられる。

生き物地球紀行

絵と内容のバランスがとれた秀作だ。タイトル通り、これは自然系ドキュメンタリー(一部では「癒し系」とも呼ばれる)の手法を人間と犬の関係に適用したパロディーなのだが、若干伝わりにくいかもしれない。分からなかった人がいたら、もう一度それ系の「語り」を思い出しながら読み直してみよう。効果は倍増するはずだ。夜の酔っぱらいの下に落ちる影、ドッグフードのパッケージの洋犬、走る犬の後ろ姿など、絵としての見所も多い。そして飼い犬同士のコミュニケーションの奇妙さも、ただただ頷くばかりである。

クイズ卍南無阿弥陀

もちろん、人気番組『クイズ$ミリオネア』のパロディである。使い古されたネタの割に笑えるのは、例の緊迫感が本質的に作者のもっとも得意とする分野だからだろうか。それにしても各コマの表情は素晴らしいとしか言いようがない。ちなみにシャーリ福留はクイズに見事正解した模様である。

シリーズ III (2002〜)

忍者石亀団

カラー化第一作。比較的短いのは労力がかかるからだろうか、あるいは俳句的な「軽さ」を目指したのか。元ネタの忍者タートルズはアメリカのコミックだが、ミケランジェロ、ラファエッロ、レオナルド、ドナテッロとルネサンスの芸術家の名前をもった四人の亀である。さらに好物はピザであり、作中のミミズ天はこれに対応する。アメリカ文化の暴力性と日本文化の「わび・さび(?)」が対照的に描かれているが、忍者で亀といったら、まあこっちの方が正しいんじゃないかと日本人には思える。最後の二コマでほとんどすべてが語られる、計算された語り口である。

ぴよこ寄贈

作業はメンドウだけど、人に誉められるとついやりすぎてしまう。作家とはこういうものなのだろうか。異様に地味ながら、子どもがぴよこを落とした場面など、謎の緊張感があって面白い。子どもたちが「ぴよこ」の名前で手紙をよこすあたり、ちょっと分かりにくいが、小学校の先生というのは、そういう余計なことをするものかもしれない。「蚊のスピードもまだまだ鈍い時候」てのは、季節の挨拶に使えそうだ。

試験蛍

傑作である。とりわけ蛍の涙がにわか雨となるシーンなどは特に素晴らしく、人間の世界と動物の世界を自由に往復する作者の本領発揮ともいえよう。そしてラストシーンの美しさもまた、明らかにマンガというジャンルを超えたものである。カラーでこれだけのクオリティのものが早くも登場すると、今後は一体どうなってしまうのか。

これまた完成度の高い作品。テーマ的にはシリーズUの『夕立』、ギャグ的には『メガネドラッグ』あたりと共通するのだが、カラーならではの絵の美しさとスピーディーな展開、秀逸な祖父のセリフ「これがいいんじゃ」などを評価したい。「メイド・イン・冥土」など細かいギャグも相変わらずの魅力である。

『ほら穴のピーコ』『九郎ひとしを』などに続く鳥と人間の交流(?)を描いた作品。室外機の熱風に吹かれるツバメが痛々しくもリアルである。意外な展開の末に「ツバメのような女性」(鴨川さん)と加賀が結ばれ、それをツバメの夫婦が見ているというラストシーンは素晴らしいのだが、その間ストーリーとしてはかなり無理をしている感じは否めない。セリの掛け声が本当にあんななのかどうか、現在問い合わせ中である。(追記:本当にあんならしい。)

古寺記

オーソドックスな昔話をアレンジした作品だが、なんとも味わい深い。細部まで丁寧に描かれ、ネタもかなり細かいところまで考えられているようだが、逆にややパワー不足という面もあるかもしれない。作者によれば、最後の「寺の僧侶」は「ティラノサウルス」とかけているらしいが、解説者もまったく気づかなかった。分からなくても決して恥ずかしがることはない。

唖鳥(おしどり)

傑作である。作者個人の心情を描いた作品のようだが、それを離れてもひじょうによくできた作品だろう。なによりも冒頭からテンポよく、セリフに頼らずに勢いで進んでいくところは見事。とりわけ主人公が指揮棒を振りだしてからの展開は圧倒的である。巨鳥モアの登場によってすっと幕をひいてしまう力量にも脱帽。作品の本質とはあまり関係がないが、指揮者という存在には、このおしどりのような哀しさがあるように思われるのだが、彼らはそろってみなひじょうに堂々として偉そうである。史彦センセイにもぜひマネしてもらいたいところである。

ティッシュ売りの少女

願いはかなうが、あまりに文字通りで何かが足りない世界。結局足りないものだらけの世界に戻ってくるという、かなりオーソドックスなお話なのであるが、言葉による説明が多くてやや分かりにくい気もする。ただ鼻をかむ体験が一種の「トリップ」に近いことは確かだし、バラの形をしたバラ園からこの世に戻ってくるあたりなどは、感心させられるばかりである。

ミルキーウェイ

『唖鳥(おしどり)』に近い、作者の心情を綴ったものだろうか。ラストの美しさは解説の必要がないものだろう。素晴らしい。二度目に読み直して、牛が途中で涙を流していることに気づいた。なんとも魅力的な牛である。追記:リヒテンベルクという昔の偉い先生が、こんなことを言っている。「牛の医者は人間であるが、人間の医者は往々にして牛である」

紫の花

これまた美しい作品である。紫色の花はもちろん、山の自然がいかにも日本的で素晴らしい。乱暴者の男も可愛らしいし、美しい娘はもちろん美しいし、長老の言葉もかっこいい。一種楽園的(?)な雰囲気さえ漂う「栃木の横枕」は実在の地名。脇坂家に縁の深いところらしいが、私も行ったことはない。

大晦日

得意の動物モノであるが、いきなりの夢シーンが面白い。年だけでなく、日、時間などにも十二支で表現するのが一般的であった、という知識を読者がもっていたとしても、一読してこのマンガが意味する内容をすべて理解できるかは、怪しい。それでも強力なインパクトをもっているのは、やはりヴィジョンの確かさであろう。まずは理不尽なパワーに身をまかせ、次に細かい台詞や「馬のたてがみ」なんかにも注意をはらいながら読み解いていこう。

オカリナ

たぶん、筆者はこの作品を正しく解説する能力がない。作者によれば「元ネタはゲーム『ゼルダの伝説 時のオカリナ』と、ゲームブック『ウィザーズ・クエスト』」だそうだ。さっぱりわからない。また、「ラスト・エンヤラー」「牛納言」などは作者の個人的な「思い出」らしい。コミカルなタッチと、楽しい思い出をなくすという、いわば「リセット」の状態に思いを馳せる、この二つのポイントで筆者は楽しんだ。

犬の世界 猫の世界

枠線(コマ)のある犬の世界と、枠線のない猫の世界を対比させた作品だが、枠を飛び越える猫のシーンがすばらしく、二つの世界をあまりに見事に橋渡ししている。ノスタルジックなぎこちなさが感じられるが、そのへんの意図がどこまで成功しているのかはやや不明。最後の静かなオチが美しい。

へそガエル

ほのぼのとした展開も最後はちょっと切ないお話。このカエルと力士には見覚えがあるので、たぶん脇坂家所蔵の品であろう。作者が本当に「ジョジョ」と呼ばれていたかどうかは不明である。

ヒッキー

前作に続いて魅力的なカエルが登場する。夜の空想をしっとりと描いた前半の美しさは特筆モノ。後半それが見事に破綻していく感じも面白い。

紙風

言葉なしの作品だけに、苦心の跡がうかがえる。空飛ぶ紙飛行機を上から追うアングルはなかなかのものだろう。

騒がしい夏

前作とは対照的に、花火の擬音による表現がポイントになっている。花火の音って確かにうるさいけどなくなると寂しい、人間のお喋りに似たものかもしれない。賑やかさとはうらはらに、しんみりとした気持ちにさせられる作品である。

登頂

東京都庁舎のような巨大な建築を舞台にしたのんびりとした戦いの物語。下敷きとなった元ネタを解説することは、筆者の能力では無理だが、石原都知事に似た「塔ジジ」がカラスに足蹴にされるシーンに爽快感を覚えた読者も多いことであろう。屋上から眺める景色が、現実の東京とは似てもにつかない緑あふれたものであるところも感動的である。

出世風呂

恒例となった大晦日作品第二弾。期待にたがわず前回の『大晦日』に匹敵する素晴らしい作品になった。日本画の伝統を踏まえた登場人物の造形や表情、背景などが素晴らしく、一コマ一コマに見入ってしまうほど。ストーリーはいつの間にか猫に誘われ異世界へというお馴染みのものではあるが、単なる夢オチでは片づけられない味わいのあるラストでもある。

宴都

シリーズ最終作は花見がテーマ。印象的な一コマ目など、静的な部分と暴れ回る木の対比が見事である。比較的シンプルなストーりーと構図だけに、妙に印象深い作品となっているのはそのへんだろうか。

シリーズ IV (2004〜)

虫愛ずる父君

シリーズWになって何が変わったのか、実は私もよく分からない。ストーリー漫画としての意識が高いという意味なんだろうか? というわけで第一作は長編である。某宮崎アニメへの言及があちこちに見られるが、ハヤオ=ロリコンというのは個人的にその通りであろうと思う。全体に、なかなか的を射た批判になっている感じがするのだが、一方で単なるオマージュなのか? という気もしてきたり。思い切った構図やコマの展開が楽しい作品でもある。

三つ蜂ばあや

これはかなり凝ったストーリーなので、すぐに全体像をつかむのが難しいかもしれない。義眼の三人の老婆とそれに仕える蜂というのはなんとも魅力的な設定ではるが、それがすぐにピンとこないのは、こちらの読解力が足りないのか、語り方に問題があるのか。しかし、一度了解し、繰り返し読んでみれば、この全体に溢れる独特のトボケた味は、今までになかった美点と感じられる。

ネオン

恒例となった大晦日作品第三弾。長編である。戌年である。SFちっくな設定に饒舌なお喋りが重なるが、全体は陰鬱なトーン。ちなみに、最後の「それに明日はお前の誕生日だよ」の通り、史彦先生の誕生日は1月2日である。

恋の小鳥

またしても長編。自伝的な作品なのであろうか、報われない一方的な恋をこれほどストレートに、しかも可愛らしく描いた作品も少ないだろう。こういう作品の場合、女の子の描写がどうとか、オウメはどうなったのかとかは言わない決まりである。

風呂具と凍土

大晦日作品第四弾。ひさびさに、短いなかに史彦先生の魅力が凝縮した作品を読めて嬉しい。冒頭の圧倒的な描写、そしてなんとも気の抜けたギャグ、美しい絵自体のカタルシス、ブツリと切れたように終わるラスト。仮に『美味しんぼ』を知らなくても、このみごとな呼吸は伝わるんじゃないだろうか。

すずめの学校

6コマの小品がゆるやかに10話がつながっていく連作シリーズ。生真面目な構成にアイディアを詰め込み、なんとなく重箱のお弁当のようなものを連想させる。3話と8話は箸休めか、間奏曲か。筆者は個人的に、ストーリー性の強い本編よりも、こっちの逸脱感にひかれる。

Flash アニメーション (2002〜)

人形劇

新しい表現方法に挑んだ第一作。ただし物語の内容や展開、セリフの入れ方など、かなりの部分でこれまでの作品を継承しており、それほど新しい感じはしない。逆に言えば、アニメーションで表現することの意味がどれだけあるのか、今のところ評価は難しい。難点はやはり、文字情報(聞く耳をもたない=耳がない等)がこれだけ多いのに、アニメーションは一定の速度で進んでいってしまう、前に戻ることができない、というところだろうか。子どもが産まれるシーンなどに、アニメとしての表現の可能性がちらりと見える。

断章集

作品の一部、あるいはメモに近いものなど、「シリーズT」から選にもれた作品を紹介していく。

私の見た映画 ホットショット

限りなく「作品」に近い、こんなものもある。ハリウッドのB級映画が好きな作者ならではの、愛情にみちたやさしい視点である。

希望

わりと長い心象スケッチ風な作品の一部。どうつながるのかよく分からないので、印象的なこの部分(たぶん冒頭)のみ掲載した。

脳内筋肉

ノートに書かれた作品。タイトルもこの通り。ただし2ページ目からは消され、途中で放棄されたようだ。この部分が消されてないのは、ここまでは面白いからではないかと思われる。続きが気になる。ちなみに高田馬場ビッグボックスは東京・新宿区にある駅ビルで、確かに窓のないどこか異様な建物である。中にはボウリング場、卓球場、プールなどアスレチック関係の施設が入っているが、世界最大というほど立派なものではない。

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