雨、大糸線、そして小田急線

祖師谷大蔵のムリウイでライブは、もう何年ぶりかの2度目だった。
確か、あのときはいつもライブをさせていただいていたお店がなくなってしまい、友人に教えていただいた情報をもとに自分で売り込みにいったのだった。
ここへ来ると、素晴らしい空間とお店がもつ温かい雰囲気にいつも感激する。夏がいいと思ったけど、冬もいいです。
heliさんの意欲的な企画に誘っていただき、深く感謝。そしてパーカッションのビリンバカ前田さんも素晴らしいサポートをしてくださった。
私も前田さんも細かいミスはたくさんあったが、全体によいユニットなんじゃないかとひそかに思っている。私のなかでのユニット名は「チキン・ビリ・アット」。もちろん、インド料理のあれ。

さて、今回はいつもよりちゃんと準備したので、曲順のメモも手元にある(いつもはかなりいい加減にその場で決めたりもする)。

1イパネマの娘 2クリスマスのプレゼント 3ロボ・ボボ 4メタフォラ(暗喩)(ジルベルト・ジル)
(前田さん登場)
5カンタ・ブラジル~ブラジルの水彩画 6田舎の列車(ヴィラ・ロボス) 7サムライ(ジャヴァン) 8プレコンセイト 9ばくてりやの世界(オリジナル) 10カンデイアス(エドゥ・ロボ) 11トローリー・ソング 12豆事情(オリジナル)

いわゆるボサノヴァは少ない。なんとなく、今回はそのほうがいいような気がしたのだ。以下はビリンバカ前田さん提供の映像。どれも前田さんのパーカッションがいい雰囲気をつくっている。
後半のheliさんが演奏しているあいだに雨が強くなった。少し寂しくも温かいあの晩の空気は何やら特別なものだった。(heliさんの演奏はこちらで!

ばくてりやの世界(萩原朔太郎=詩) 前田さんが暴れていて面白い。 

「好き」と「嫌い」の間

私はとにかくボサノヴァが好きで好きでたまらないんだろう、と思っている人もいるかもしれないが、そういうわけでもない。むしろ、一般人よりボサノヴァが嫌いともいえるかもしれないのだ。
それはともかく、有名なボサノヴァ曲のなかには、苦手だなーという曲がいくつかある。
「Samba de Veraoサマー・サンバ」は、そのなかのひとつだ。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/verao.mp3
お聞きの通り、翻訳もどこか斜めな感じにならざるをえない。
ついでにいうと、この曲をつくったマルコス・ヴァーリという人もなんとなく苦手だ。私はリオの小さな店でこの人のライブを見たのだが、あまり「いいね」な感じがしなかった。とはいえ、こういう「嫌い」はすべて「好き」の裏返しではあるのだろう。
マルコス・ヴァーリの悪口をこんなに真剣に言ったり、やや悪意のある翻訳をしたりする人間は、ボサノヴァ好き以外ではあまり考えられない(笑)。

♪サマー・サンバ
私いいのそれでいいの
愛は何も求めないの
いつもそばにいてくれたら
それでいいの 今はいいの
ほら 夏がくる
熱くなる あなたとすごす夏待ちきれない

夏はいいね すごくいいね
冬もいいね 逆にいいね
海はいいよ 山もいいよ
それはいいね とてもいいよ
ソーナイス! いいんじゃない?
どれもこれもすごい いいんじゃない?

ホジーニャ、あるいは薔薇

新しい訳です。ジョアン・ジルベルトがアルバム「ジョアン」で歌っている「ホジーニャ」という曲。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/rosinha.mp3
ホジーニャというのは薔薇という女性の名前なので、そのままでもよいのだが、「ほら、ホジーニャ……」では少し芸がない気がした。

Rosinha ホジーニャ
薔薇よ私の心よ 君が好きさ 結婚しよう 一緒に住もう
君がかけた この魔法を解いて 苦しめないでくれ
ほら、私の心は君のものさ 結婚しよう 一緒に住もう
君がかけた この魔法を解いて 苦しめないでくれ
過ち 愚かに 繰り返さない だから薔薇よ
今すぐ決めよう 小さくキスして もう待ちきれないよ

メタファー、あるいは言葉の力

先日、ブラジル映画祭というのがあって、『Palavra Encantada 魔法じかけの言葉』という作品を見てきた。ブラジル音楽を聴いていると、仮にポルトガル語が分からなくても、豊穣な詩の世界が広がっていることが「なんとなく」感じられる。なんでそんなことになってるのか、いろいろな角度から迫った面白い作品だ。
ジルベルト・ジル「メタフォラ(暗喩)」は、そのエンディングに使われていた曲。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/metafora.mp3

あれこれ論じてみてはものの、結局、音楽というか歌ひとつのほうが雄弁であったという話ではある。
でも、言葉と音楽(歌)の関係についてかなり深いところに迫っていたような気がする。
私の訳は、かなり元の歌から離れている。隠喩と直喩の違いを歌に入れたりすると大変なので、「たとえ」という言葉の範囲におさめてしまったのだ。
でも、教育テレビ的でもあり、ちょっと気に入っている。

♪メタフォラ
たとえば言葉が心を 入れる箱なら また
たくさんの愛を 送るだろう
「喩え」は私の知らない 場所へと続く 穴
たくさんの音を 響かせる

心に秘めた思い超えた 詩人の言葉が重なれば
まるであたかもちょうどそれは
ぴったりすぎるほど
入らない そこから 思い溢れ

きわめてありふれたものが
鮮やかに形変える
喩えるのさ もっとたくさん
言葉の力は メタフォラ

過剰な過剰さのはなし


奏@国立のジョアン・ジルベルトトリビュートなライブにて。
右は尊敬するギタリストの「よなごん」こと代永光男氏、真中はお馴染柳家小春師匠。

他人の自己分析とか自己省察とか、読んでもつまらないかと思いますがどうかお許しを。

私は「過剰さ」というものが大の苦手だが、自分のなかにもどこか「過剰さ」があり、また「過剰さ」を引き寄せてしまうようなところがあるように思う(要するに、困った人間ということだ)。
というのも、昨日は国立の奏さんというお店で素敵なイベントに出させていただいたのだが、自分としてはもう少し軽く、すっとやめておけばよかった……と後悔したわけ。
出演者が多く、みなさん非常に内容の濃い演奏だったので、全体によいライブではあるんだけど、大変ヘビーで胃にもたれるものになってしまったのではないかと心配しているのである。
その点、柳家小春師匠なんかはちゃんとバランスを心得ていらっしゃる。
昨日の場合は、次に登場して流れをつくった私が全面的に悪かたったのだ(笑)。
とはいえ、こういうぎゅうっと詰めこんだものが嫌いかというと、そうでもないようにも思え、自分でも実に訳がわからない。
そうだとすれば、わざとやっているということになる。
他人がうんざりするようなことを、私はいつもやってるなあ、とか反省しながら次の悪事を企んでいるようで非常に始末が悪い。
そういうわけで、過剰さのついでというか、大量の動画をアップしちゃおう……。

マダムとの喧嘩は何のため?

トローリー・ソング

三月の水

Eu Sambo Mesmo

弾語りもかっこいい杉山茂生さん、そしていつもながら素晴らしい小春師匠との「カエル」

録音のお悩み

今年になってから新しい機材を買ったりしているのだが、しばらくポータブルレコーダの一発録音ばかりしていて、使っていなかった。
なかなか腰を据えて録音に取り組む時間というか余裕がなかったのである。
ようやく、その気になってきたので、まずは試しに新しいMTRと取り組んでみるとことにした。
それにしても、多重録音というのは楽しいが、結構面倒である。そして、意外に出来てみると何か面白味がなかったりする。

イパネマの娘
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/ipanema.mp3
(後半にいい加減なシンセが入っている……。)

でも、もう少しちゃんとアレンジもやって、こういうのをしっかり作ってみたいという欲望は常にある。
一方で弾き語りを一発録りしてみると、ものすごく乱暴になってしまうし、ミスは多いし、
呆れつつも、音楽としてはこっちのほうがいいのではないかとも思う。

俺のバイーア
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/euvim.mp3

このふたつのあいだで揺れるのは、単に私の技量がどちらをやるのにも足りていないということに起因するのかもしれない。
他人にとってはどうでもいい録音の悩みは、深い。

黒魔術? ブードゥー?

例によってジョアン・ジルベルトの大好きなアルバムから英語の曲。
昔、アメリカに留学してたときに、よく口ずさんでた記憶がぼんやりとある。
しかし、私はコール・ポーターのことはまったく知らない。

ユー・ドゥ・サムシング・トゥー・ミー
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/something.mp3

今私は君に溺れているの?
教えてくれ
どんな魔法使った?
君に夢中
黒魔術か ブードゥーか
いいよ 君になら
呪われてもいい

酔っ払いと綱渡り芸人

チャップリンの「スマイル」にインスパイアされてジョアン・ボスコがつくったとか、ブラジル軍政下の圧制をエリス・レジーナが劇的にうたったとかで、わりと有名な曲だ。

ジョアン・ボスコ「酔っ払いと綱渡り芸人」
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/bebado.mp3


街の灯(あかり)消え 喪服の
赤ら顔のあいつ まるでチャップリン?
いつも千鳥足で踊る 星たちの光も 飲み尽くして
雲よ 赤い血に飢えた 人々の痛みは 足りぬか?
まだ苦しみは続くの? 酔っぱらいは踊る
夜明けは来ない meu Brasil

遠く離れたどこかに
あなたは連れられ 愛する人よ
きっと戻ってくるよと 気高き母たちは涙ふいて
心 突き刺す痛みは どこかへ導くの? 希望は
目の くらむような高みに 架けた綱の上を 歩いてゆく
今 綱渡り芸人は 命がけで歩く 前を向いて

かなり忠実に訳したつもりだが、それでもこの比喩的な表現には若干の説明が必要だろう。
酔っ払いは当時のブラジルを牛耳っていた軍部、綱渡り芸人はそんな社会で危なっかしく生きている国民を表現しているようだ。
そして、どうしても訳せなかった単語もある。
「拷問」は、うまく歌にすることができなかった。
でも、「どこかに連れられた」人々は拷問を受けて血を流し、それを雲が吸い取ってる、というような禍々しいイメージなのだから、これは不誠実な訳かもしれない。
私の力不足の問題か、日本語の響きの問題か、あるいは他の問題か。
なんにせよ、ちょっと悔しい。

サムライさむらい

先月の国立・奏ライブでご一緒させていただいた杉山茂生さんが弾き語りしておられた、
ジャヴァンの「サムライ」という曲。カッコいいなあ~と思って、私もやってみた。
とはいえ、いかにも地力がないと貧相になってしまう、そういう種類の曲ではある。
そのうち多重録音をがんがんやってベースやホーンも入れて派手に誤魔化したい。

サムライ Samurai
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/samurai.mp3

歌詞のほうは結構ばかばかしくて気に入っている。

愛、思いは報われぬのか?
愛、何ゆえ 心は生かさず殺さず
愛、すなわち誠の心
愛、いつしか志も届くのなら
光、照らす 心の奥 それはまるで 戦う 愛の力
跪くだけさ あなたを愛してるよ サムライ
負けて幸せ 降伏するよ

国際語としての「サムライ」というのは、まあこんな感じかな~と思う(テキトー)。
原詩は「愛」が強力なサムライで「それに喜んで仕える」みたいな感じだが、
私は例によってもう一歩思い切ってさらに情けない感じにしてみた。

カンデイアス

世の中には難曲と感じられるものが結構あるが(少なくとも私にはそうだ)、これもそのひとつだった。
エドゥ・ロボ「カンデイアス」
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/candeias.mp3

歌詞も、なんだか最後のところで妙に幻想がかってしまい、迷子になる。
「とにかく幻想的って感じかなあ」といい加減に思いながらつい「まぼろしの……」と訳した。
詩人であれ詩の訳者であれ、これは反則というか、恥ずかしいので普通はやらない。

愛する場所 あなたのカンデイアス
愛するあなたがいるから
離れ行く土地に未練はないよ
懐かしい思い出話もないし
シダの葉の揺れるあの浜に戻る
輝ける月の 真っ白な光照らす
あなたの透明な瞳のなかには
あるのさ 望むもののすべてが

愛する場所 あなたのカンデイアス
愛するあなたがいるから
離れ行く土地に未練はないよ
懐かしい思い出話もないし
今すぐ帰ろう あの遠い場所が
どこにあるのか 波間を揺れる船
白い巡礼は 幻のバイーア
白いろうそくの 幻はバイーア