聴くことができないと思っていたのに

ちょっと前に「ジョアン・ジルベルトが愛したサンバ」というCDが発売された。

これは、ボサノヴァ先進国(?)日本編集版ならではというか、衝撃的なものであった。
ジョアン・ジルベルト信奉者にとっては、ボサノヴァ以前のジョアンの歌声にまず驚かされただろう。
そして、ジョアン・ジルベルトがカヴァーした数々の曲のオリジナルというか、貴重な音源の数々。
でも本当のことをいうと、聴かないほうがよかったんじゃないか、これって罪なCDなんじゃないか、とも思う。
 
ジョアン・ジルベルトが古いサンバの記憶を独自の手法で追求していることは、知られている。私たちのような「非ブラジル人」にとって、それは過去というより、けっこう未知のものであったりする。
もちろん、その一部は古い音源の再発によって知ることができたし、当時のサンバがもっていた雰囲気やサウンドをまったく知らない、というわけではい。しかし、故郷の拡声器のようなスピーカーから流れるラジオで若き日のジョアン・ジルベルト聴いたという古いサンバがどのようなものであったかを考えるのは、かなり想像力を刺激する作業だった。
 
こうしてあっけなく音源として差し出されてしまうと、これまで必死で探していた「聴くことのできないもの」の答えを見せられてしまったようで、少しつまらない。
いや、これは音源にがっかりした、という意味ではない。
むしろ逆で、実に素晴らしいものが多いのではあるが。
 
ジョアン・ジルベルトだって、必ずしも古いレコードを聴きながら、コピーしているわけではない。記憶のなかにある美しいものを実際に見たら、聴いたら、ちょっと違うと感じることは珍しくないだろう。
そんなわけで、これほど素晴らしいCDを聴いて、これほど悲しい気持ちになったのは、はじめての経験である。