ボールとたま(読書)

いろんな意味で対照的な2つの本だが、どっちも好きだ。

若宮健『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』
文章も内容も繰り返しが多く、まるで整理されていないが、正義感に満ちた本。最近、ようやく原発の悪口を公の場で誰もが言えるようになった感じがするが(そうでもないのか?)、パチンコはまだまだな気がする。
パチンコは球がないと成り立たないと思ってたが、韓国のそれは「球なし」だったようだ。つまり、たまは「遊戯である」という苦しい言い訳に相当するが、本質は「たまのないところ」にあるわけだ。

平出隆『ベースボールの詩学』
詩人によるベースボール論であり、同時にボールの形をした詩論でもある。本自体がひとつの詩のような、ある意味で完全な姿をしている。こういう本は、これからなかなか生まれにくいのではないか、とぼんやり思う。

小学生の頃、私は野球チームに所属していて、それなりに野球を愛していた。もっと遡れば、公園や道路でカラーバットとゴムボールの野球を日が暮れるまでやっていた世代。怪しげな妄想とともに一人で壁にむかって野球をするのも、楽しかった。
不幸なことに、その後、野球とはどうも仲良くなれない。たぶん、野球を愛していたのに、自分があまりに下手なのでギャップが大きすぎたのだろうか? 
剛速球を打撃する欲望というこの本の中心テーマはすごく理解できるのだが、「そうだよね!」と力強く言い切れないのがもどかしい。まあ、野球の上手な人はこんな本を読まなくても十分に幸せということかもしれないが……。


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