変人論


 「変人」あるいは「変なヤツ」という言葉がちょっと気になっている。
というのも、大抵の人は自分のまわりには変な人が多い、と思っているようだからである。世の中そんなに変な人ばかりでは成り立たないから、これはどうや ら一種の愛情表現であるらしい。簡単に言えば、通勤電車に乗っている他人は無個性に見え、深い付き合いをもった相手は個性的でかけがえのない、「変なヤ ツ」ということになるのであろう。
したがって、「変人」「変なヤツ」に囲まれていると信じて暮らしている人は、その他大勢の人々を「普通」と認識していることになるから、これは意外に排他的な言葉なんじゃないか。
「普通」であること、「変」であること。この二つはどうやらかなり複雑な問題をはらんでいるようだ。「個性」やら「独創性」やらが重要だと言われるよう になって久しいが、現実には普通の人たちが仲間をつくって自分たちを「変人」と呼び合っているだけなのかもしれない。(2002.4.10)

追記:渋谷のカラオケボックスにて大学時代の友人と遊んだときに撮影。


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