宮崎賢太郎『カクレキリシタン』 他

宗教のまわりをうろうろする読書

日本の総宗教人口は二億人を超えるらしい(宗教団体による申告の合計)のに、まわりに宗教に熱心な人を探すのは難しい。
このあたりの事情や原因は、阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』(ちくま新書)なんて本が上手にまとめているが、簡単に言えば、「宗教」という言葉の 使い方には大きなブレがあって、それがそのまま数字に出たのが先の統計と実感の食い違いといえるだろう。ほとんどすべての人が初詣に出かけて景気回復を祈 り、クリスマスを祝う賛美歌を美しいものと感じる一方で、日本では「宗教」にどこかタブーともいえる側面があるのだ。
けれども「宗教的なもの」の範囲は実に広い。どんなに合理的で進歩的な考え方と生き方を求めたとしても、これから逃れることはできないだろう。
宗教を考える上で大事なのは、いかなる意味においても線を引くことではない。宗教というものの境界の曖昧さ、差異ではなく類似性、そして動きつつある宗教を観察することなしに、何かを決めつけたところで、得るものはほとんど何もないだろう。
だとすれば、もしかすると僕たちは宗教というものを考えるうえで格好の場所にいるのかもしれない。宗教に対する無知は自慢できない汚点だとしても、日本 には、宗教と宗教でないものの接点で溢れている。無数の神々の「るつぼ」と化したこの国には、「正しい宗教」など決して存在しないのと同時に、政教分離が うまくできないほど、実は宗教にべったりだ。
あらゆる矛盾のなかで宗教というものを問うことは、終わりのない作業になる。でもそれはたぶん人間の文化が作ってきた最良の成果(そしてたぶん最悪の成 果も)へとつながっているのだ。「宗教」が問題になっているから宗教を問うのではない。人間は宗教的な生き物だから、宗教が最大の問題となり、宗教を問わ ねばならないのだ。

『カクレキリシタン』は地道なフィールドワークの報告を主体にしたとても地味な本である。何かとロマンティシズムをかき立てがちなその存在を、彼らがもは や「隠れ」てもいないし、(狭い意味での)キリスト教徒でもない、というクールな視点で捉え直している。そこに浮かび上がってくるのは意外にも、ある意味 でごく典型的な日本的な宗教感覚である。
民俗宗教としてのカクレキリシタンの豊かな世界がこれほど僕たちの「腑に落ちる」のは、キリスト教という知識(あくまでも知識でしかない)が介在してい るからかもしれない。キリスト教を間に置くことで、日本的なものがよく見える。著者も指摘する通り、我々は日本人が「日本仏教」を信じ続け、原始仏教に回 帰しないことには何の疑問も抱かないが、解散したカクレキリシタンがカトリックに「戻らず」、仏教や神道に入ることにはどこか違和感を感じる。その違和感 のなかにこそ、日本的な宗教感覚を相対化する近道があるように思えた。
多神教的な感覚、先祖崇拝、呪い的な儀式、なんて言葉にするとつまらないが、個々具体的な記述はとても興味深い。
そして何より、カクレキリシタンが急速に減少し、その組織が次々と解散していく事実は、宗教とはまずもってコミュニティーの問題なのだということを改め て教えてくれる。どんなコミュニティーを作るのか、それこそが宗教の根本的な問題であったのだろうと、気づかされる。
個人の信条、信仰、信念が重要なのはもちろんだが、少なくともそれだけが人類の宗教を作り出してきた原動力なのではない。先に触れたカクレキリシタンが仏教や神道に入る、ということの説明もこの点にある。彼らの選択はコミュニティーの選択なのである。
こう書くとやや極端だが、もちろんこれは僕がこの本を読んで特に強く感じた点だ。もしかしたら、読む人によってはやはり、数百年を超えて受け継がれた信 仰の強さに感心するのかもしれない。それはそれでもちろん正しいのだ。けれども、この本は一人一人の信仰の強さ、内面といったものには敬意を表してあまり 近づかないようにしているようだ。そういったものが好きな人は、たぶん遠藤周作の小説を読んだほうがいいだろう。

さて、江戸時代から明治時代に入って日本のコミュニティーは大きな変化を経験した。コミュニティーのニーズ(全体的にそれは薄まっていった)が変わっただけでなく、コミュニティーの変化に伴う個人の精神的なニーズも大きく変わった。
その変化のスピードについてこれなかった既成宗教の代わりに勢力を伸ばしたのが、いわゆる新宗教である。先に述べた日本人が宗教に感じる「タブー」の側面が強く投影されている部分がここにあると思われる。
建築史という分野で、そうした「タブー」のために(?)、これまで顧みられなかったこれら新宗教による建築に光を当てたのが『新宗教と巨大建築』である。新宗教への入門書としても、とてもよくできた本だと思う。
「宗教建築を素材にすれば、具体的なモノと言葉の関係が検証できる」と著者が「あとがき」で振り返っているように、モノを通して見ることで各宗教の教義や 歴史が具体化し、逆にモノとしての建築に与えられる言葉も、空疎でない実体をもったものになっている。どこかこけおどし的でスカスカになりがちな建築とい う分野の本のなかでは、珍しく内容があるといったら失礼だろうか。
とはいえ、宗教と巨大建築というテーマを、巨大なビルに宗教戦争が突入した(?)、ニューヨークのテロ事件に結びつけたり、安易な終末観に警鐘を鳴らし たり、文明の衝突を臭わせたり、各論を離れた総論になるとにわかにショボい記述が目立つ。地味なフィールドワークとマニアックな考察というレベルでとど まっているべきであったと感じる。また、建築史として取り上げるには歴史が浅くトピックが少ないからかもしれないが、創価学会に割かれたページが少ないの もちょっと残念だ。それでも、天理教や大本教における空間のとらえかたを述べた部分などは抜群に面白いので、興味のある人はぜひ読んでほしい。

最後に、普通は宗教とは呼ばないテーマを扱った本。『ワンダーゾーン』はまさに宗教すれすれ、現代日本人の宗教感覚において、タブーと切実なニーズの境目を描こうとしたノンフィクションだ。
テーマは「自己啓発セミナー」「前世療法」「チャネリング」「πウォーター」……。こう書くとなんとも興味深い話ばかりではないか(と書く僕は典型的な現代日本人だ)。
さて、内容も面白いといえば面白いのだが、本としてはやはりイマイチであったと言わなければならない。このテーマだったらもっと面白くなくてはならないのである。何が面白くないか、一言でいえば、著者のスタンスがはっきりしすぎているからであろう。
こうした「胡散臭い」ものを語るとき、もしかしたら本当かもしれない、という自己暗示は不可欠である。これがないと安易な批判になってしまうのである。 本人は抑えているつもりなのかもしれないが、それでも最初から批判的な視線がバレバレである。どうしたってしらけてしまうのだ。もちろん、安心して読書を 楽しみたいというお気楽な向きにはお勧めである。
それでも実は、著者がセミナーに参加した最初の章と、インターネットの復讐代行業が登場するごく短い最終章はかなり面白い。前者は、読者も驚く悪人ぶり を発揮する著者の様子が可笑しいし(かなり本気だったらしい)、体験を消化しきれてない感じを率直に書いているところがよい。そして後者はこの胡散臭い代 行業者に対するある種の共感と抗いがたい魅力を著者が感じているからこそ、何やらよく分からないが人間の真実に触れるような面白さが出ているのである。

ところで、三冊の本を読んだ順番は、紹介順の逆だ(後から読んだ本によって、前に読んだ本の理解が深まるのは読書の常。順番はあまり重要ではない)。
『ワンダーゾーン』の著者は「現代人の依存心」を最大の問題と見ているようだ。僕はこれに違和感を感じたのだけれど、それが何なのかは分からなかった。三 冊の本を読んで問い直すべきだと感じるのは、人間の心のなかにあらゆる原因を探っていくという考え方そのものである。「依存心」があるとすれば、その人の 心のなかに何か原因があるのだろう、と考えるのが普通かもしれない。たとえば、「アダルト・チルドレン」なんていう言葉はその考え方がどんなものかを示す 最たるものだろう。
だが心というのは、現代ふつうに考えられているよりも、ずっと「空っぽ」なのではないか。空っぽだからこそ、コミュニティーが必要だし、神様の形が欲しい。それはすごく当たり前のことではないか。
心の問題を問うときに、その中に踏み込んでいこうとするのは方向が間違っているのではないだろうか。そういう意味で、『ワンダーゾーン』という本の中途 半端さは際立っている。何か問題があるようだ、と思ってそこに首を突っ込むと、そこにあるのは空虚だけ。問題の核心はおろか、そこで何が起こっているのか という大雑把な把握さえできない。現場にいる個人への虚しい攻撃が行われるだけ。でもこの著者だって分かっているのだ。問題の一部のなかに自分も生きてい ることを。
そういう意味で、何をどれだけ意識していたかはともかくとして、形に向かった前の二冊は実に正しかったのだと思う。心の闇が問題になるのは、心に集中し すぎるからかもしれないのだ。心を大切にし、心の価値を称揚し、心と心のつながったコミュニケーションを夢見る。病んだ心を見ると、その心にまっすぐぶつ かっていこうとする。敢えて乱暴な言い方をすれば、心を重んじすぎるのは現代人の悪い癖だろう。
形のなかに魂が宿るなどという陳腐な言い方をするまでもなく、目に見えるはずのない心をとりあえず離れる視点は重要である。実際、『ワンダーゾーン』と いう本は、金の動きとか勧誘の方法だとか、もっとしつこく深く取材すれば、より面白い本になったのは間違いないのだ。


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