リー・ソトリンガー著『グランドセントラル駅・冬』他

リー・ストリンガー著『グランドセントラル駅・冬』
(中川五郎訳、2001年11月、文芸春秋、2190円)

アメリカのまわりをうろうろする読書

本を読むことと書評を書くことはまったく別の作業なのだけれど、それがだんだんそうじゃなくってくる、というお話。結論を先に書くと、書評はあまりたくさん書くべきではない。たくさん読んだなかで、「お、これは」と思ったものについてだけ書くのがやはりベストだろう。

まず最初に読んだのは『グランドセントラル駅・冬』。ニューヨークの路上生活者が書いたという本だ。これがすごくよかった。書評を書こうかなと思いつつ、よい切り口がなかなか思いつかなかった。
そうこうしているうちに、続いて人に勧められた『ファストフードが世界を食いつくす』を読んだ。これも全然別の意味で大変面白い。とはいえ、ちょっと前 に出た本であるし、内容を紹介するだけではつまらない。どうしようかと思っているうちに、ふと思いつく。ファストフード産業についての本であるけれども、 原題はFast Food Nationである。もちろん、このネイションはアメリカ合衆国だ。もう一冊読んで、いっちょアメリカのことでも書いてやろう。
アメリカといえばやっぱディズニーである、ということで(なんといういい加減な)買った本が『ディズニーとは何か』。前の二冊ほどではないが、不純な動 機で買った割には、楽しめた。ついでに本のなかで紹介されていた『南部の唄』という黒人差別で問題になったディズニー作品も見て(これはイマイチだっ た)、準備は整った。さあ、あとは書評を書くだけだ。

僕が思い描いた筋書きは大体こんな具合である。
普通の人が考える「アメリカらしさ」のほとんどは、「大衆文化」と言い換えられるんじゃないか。ディズニーの何がアメリカらしくて、何が大衆文化的なの か。それを問うのは難しいけれど、ディズニーの歴史をひもとくと、アメリカの産業史とパラレルにこの「アメリカらしさ」が作られていった経過がなんとなく 見えてくる。
そして「アメリカらしさ」がダイレクトに世界に対して影響するのは、娯楽よりも食文化を通してだろう。もちろん、コカ・コーラやマクドナルドのハンバー ガーなんかを通してである。ここでも「アメリカらしさ」は、ある恣意的な歴史によって作られたものであり、ハンバーガーやフライドポテトの「アメリカらし さ」には文化と産業が分かちがたく結びついた独特の意味内容を持っている。
だからこそ、「アメリカらしさ」は海を超えて世界を席巻しているのだ。それは決して単なる二つの文化の争いではない。アメリカ文化優位に進められるアン バランスな戦いですらない。それは常に何か違う次元のものとして僕たちの生活に入り込む。この「アメリカらしさ」は一種の発明なのだ。
ざっとこんなところまでは、なんとかまとまりそうに思えた。

問題は最後に『グランドセントラル駅・冬』をどう位置づけるかであった。世界経済の中心たるニューヨークの路上生活を描いたこの本をある種のアンチテーゼとしてもってくるのはよいとして、一体これはアメリカ的なのかそうじゃないのか。
カート・ヴォネガットも賞賛するこの著者の文才を、むしろ「本当の」アメリカ文化の最良の部分として考えるのか、あるいは上でまとめた「アメリカらしさ」と戦う最前線の闘士として取り上げるべきなのか……。
そんなことを考えていたら、なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまった。結局、どちらだっていいのだ。どちらを「アメリカらしさ」と捉えたところで、自分の尻尾をつかまえて走っているようなものだ。
大体、アメリカのことを書くのに、本三冊で十分なわけがない。
アメリカのことを書くのに、実際に住んだ経験のことは書かなくていいのか。
ディズニーのことを書くのに、好きなドナルドダックの『三人の騎士』のことは書かなくていいのか。
ファストフードについて書くのに、自分がかつてマクドナルドで働いた経験のことは書かなくていいのか……。
アメリカをめぐる僕の考えはひたすら空転した。

想像していた以上に、僕はアメリカのなかにどっぷり浸かって生きているようだ。アメリカに関する問いは単純ではない。それはたとえばアメリカという国が なかったとしても、きっと「アメリカらしさ」は存在するだろうということでもあるし、自分がすでにかなりアメリカ人である、ということでもある。批判はす ぐにすべてのものに、とりわけ自分のほうへと向かってくる。
アメリカ人の多くがほとんど世界=アメリカ合衆国という宇宙観(?)を持っていたのに僕は驚いたけれど、それはある意味で真実をついているのかもしれない。今や世界にはアメリカが濃い場所とアメリカの薄い場所があるだけなのかもしれないからだ。

そんな訳で(どんな訳か?)、三冊の本を紹介しながらアメリカについて考察するという大それた野望はもろくも失敗に終わり、結局、無理をしてたくさん書 評を書くべきではない、という教訓だけが残った。そして冬季オリンピックがアメリカで開幕し、僕はいかにも「アメリカ的な」演出に文句を言いながらそれを 見ている。
そんなことはともかく、せめて『グランドセントラル駅・冬』の面白さだけでもちゃんと伝えられなかったのか。非常に残念な気持ちでいっぱいである。


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