ナンシー・エトコフ 『なぜ美人ばかりが得をするのか』

ナンシー・エトコフ 『なぜ美人ばかりが得をするのか』
(2000年12月、木村博江訳、草思社、1900円)

得にならない美をめぐる考察

どういう風に紹介したらいいか、ちょっと迷う本だ。「お手軽な似非科学本」とか「チープなダーウィニズムの臭いがする俗悪な読み物」とでも言ってしまえば簡単に通りそうだが、それだけではちょっともったないな気もするのだ。
ちょっと手にとるのがためらわれるような表紙をめくってみよう。第一章で著者はこう言う。「多くの知識人は美はとるに足りないものだと指摘する」。普通そ ういう認識はなかなか共有できないと思うのだが、そんな「知識人」の代表として挙げられているのが、アメリカのフェミニスト、ナオミ・ウルフの著作『美の陰謀』である。なんとまあ。やはりアメリカのフェミニズムはそれだけ力があるということか?
『美の陰謀』はなかなか面白い本だ。この本は美がこの社会のなかでいかに機能しているか、を説いた本。「男性社会」は女性の美を礼賛することで、女性の欲 望をその中に限定し、男性が女性を支配しているという社会のあり方を隠蔽し、そのシステムを維持する。現代において、美は金儲けの手段であり、この社会の あり方を存続させるための強力な切り札である、というような。美しくなろうとして化粧やダイエットに投資しつづける女性は、男性に搾取されている、という のだ。
確かに、現代のアメリカを代表するフェミニストが書いただけあって、素晴らしく威勢がよくて、やや乱暴な書き方ともいえる。読んでいると、あたかもどこか の男性たちが共謀して美という概念を作り出したかのような錯覚さえ、おぼえる。もちろん、ちょっと筆がすべってしまったとしても、ナオミ・ウルフはそんな ことを言いたいわけではない。
でも、そんな錯覚がありえてしまうくらい、私たちは「美とは何か(この場合あくまでも人間の)」についてはっきりと理解していないし、そのことを正面から 考えないことに慣れきってしまっている。この本の著者はそこに苛立っていたのであろう。じゃあ、科学的に「美」をとらえるとしたら、それは何なのか。簡単 にいうと、この本の狙いはそこにある。
よく考えてみると、確かに人の美しさには、タブーと言えるような側面がある。女性誌などに載っている有名女優やモデルのインタビューなどの取り上げ方ひと つを見ても、彼女の美しさをあくまでもモノとして、あるいは生物学的なものとして限定することはありえない。書き手は、意識してか、あるいは無意識のうち にか、その美しさをその人間の内面的なものの現れとして描こうとする。あるいは、美しさはときに服装や化粧といったものの効果にすり替えられる。人の美し さはただ見れば自明のことであるから、であろうか。それにしても、なんだかちょっと気持ち悪い。
著者は同じような事例として、相手が美人であるときとそうでないときの人々の対応の違いに触れている。つまり、人は外見の美しさをたびたび、別の性質(たとえば頭のよさ、性格のよさ)と混同してしまうということだ。
そんなわけで、著者は人間の美しさについて、それをひたすら生物学的な特徴として考察する。シンメトリー、皮膚の肌理、肉づきのよさ、などなど。それは若 さとか、健康とか、生物としての強さとか、そういう言葉に置き換えられるものだ。人間は先天的にこの「美しさ」というものを感知する能力をもっている、と いうことだ。
美しさは文化的な概念だとか、美しさは見る側のなかに存在するとか、そういういわば「文系的な」美のとらえ方と真っ向から対峙しようとする。それはそれで 結構いさぎよい態度なのではないか、と僕はちょっと感心した。細かい議論はチープだし、論証の過程などはかなり杜撰ではあるけれども、先にふれた「美をめ ぐるタブー」に挑戦する試みとしては、評価できるのはないか。
「心 がけが容姿に現れる」とか「自分を磨く」「美しさを手に入れる」といった常套句はまさにこの生物学的な「美しさ」を隠蔽するための言葉といっていい。そう 考えると、人の美しさをあくまでも生物学的な特徴と考えることは、フェミニストであるナオミ・ウルフの主張とも重なってくるのではないか? なんだかおか しなことになってしまった。
「美」はあまりにも多くの意味を引き受けた言葉だ。おまけに、何を美しいと思うかは、プライヴァシーの領域というか、神秘的な領域として守られている。だからこそ「陰謀」が成り立つということは確かだ。
もちろん、ナオミ・ウルフをはじめフェミニストたちがこの本を受け入れる見込みはまったくない。なんといっても著者は、男が女を容姿で選ぶのは生物の行動 として根拠がある、などと言っているのだから。その結果、世の女性たちが血眼になって男性を惹きつけるために化粧やらエステやらに投資するのは当然とい う、結論になる(本書)。
話がぐるっと一回りして、戻ってきてしまった。この複雑に入り組んだ議論に決着をつけさせるのは無理というか、不毛である。UFOは存在するか? という 話と同じくらい、あまりにも前提がかけ離れている。でもそんな不毛な議論も、とりあえず一度ぐるりと一回りすると、それはそれで意味があるんじゃないか、 などと考えるのは、僕がよほどの暇人だからだろうか。


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