John Fahey and his Orchestra 「Of Rivers and Religion」

セピア色のディズニーランド


John Fahey and his Orchestra「Of Rivers and Religion」
(1999年、REPRISE)

せっかくMUSICコーナーを作ったのに、全然書けなかった。ちょっと自信がなかったのだ。音楽をめぐる言葉に不信があって、面白いレヴューがあればなあ とは思っていたのだが。でも、いざ自分で書こうとすると、どこから始めたらいいのかさっぱり分からなかった。モデルがないのだ。
音楽には言葉がない。それでまずは周辺情報から、などと思って他人の書いた文章などを読むと、これがいけない。過剰な思い入れで意味不明の文章と、ひたす ら固有名詞をつなげただけの、これまた意味不明な文章ばかり。これにもうひとつ、訳の分からない文章を加えてもしょうがないし。じゃあどうすればいいの? と思いつつ、ひたすらためらっていた。
そんなところへ、ジョン・フェイヒー死去のニュースだ。これは、ビビっている場合ではないと思えてきた。なぜかは自分でもよく分からないが、まあ人が死ぬ、というのは、それだけインパクトがあるということだ。
ジョン・フェイヒーは不思議なミュージシャンだ。だった。彼をポピュラー音楽の歴史のなかにふさわしく位置づけたり解説するのは、僕の手にあまる。彼はギ タリストだ。ブルース、ブルーグラスといったアメリカの古いポピュラー音楽をもとに、独自の世界を作り上げた孤高の人、くらいか。なんだか嘘くさい。
ここで取り上げたのは彼の膨大なアルバムのなかでも、聴きやすく、手に入りやすく、かつ最高の出来栄えのものの一つ、という実にお買い得かつ紹介し甲斐の あるアルバムだ。名盤探検隊のシリーズの一枚。まったく余談だが、フェイヒー死すのニュースを知った翌日、中央線に乗っていたら、レコード業界人らしき 人々がいたので耳をすませていたら、どうも彼らのなかの一人は名盤探検隊の営業をしているらしかった。「フェイヒー死にましたね」と哀悼の意を表明した かったが、あまりに唐突なのでやめた。ぜひちゃんと追悼企画をやってほしいものである。
ところで、ライナーノートによるとジャケットのこのセピア色の写真はディズニーランドらしい。くだらないライナーノートも、たまには素敵な情報が載ってい る。ある意味では、ジョン・フェイヒーの音楽は、ディズニーランド的ともいえるからだ。それは、アメリカそのもの。もちろん、セピア色に褪せたディズニー ランド、遠い記憶のなかのディズニーランドだ。
音楽というのは大抵、遠くから聴くと美しく聞こえるものだ。遊園地にかかっている音楽も、盆踊りの音楽も、ちょっと遠くから聴くと実に素晴らしい。たぶ ん、あの騒がしいパラパラの音楽だって、遠くから風に乗って聞こえてきたら素晴らしいにちがいない。ああ、きっと若者があれに乗って踊っているんだ、と自 分も浮き足立って近くに行きたくなるような。でももちろん、本当にそばに寄るとがっかりするのだ。
ジョン・フェイヒーの音楽は、この「遠くから聞こえる音楽」に似ている。大きなスピーカーでCDをかけても、ライヴで本人が目の前にいても、どこか遠くか ら音が聞こえてくるような、そんな印象を与える。そしてそれは「遠くから聞こえてくるアメリカ音楽」である。
高校生の頃、一年間だけアメリカに住んだことがある。ウェスト・ヴァージニア州という、とんでもない田舎だ。ニューヨークなどに比べると、文字どおり一世 紀前の雰囲気がまだ残っている。もちろん車もあるしテレビもあるのだが、そういう問題ではないのだ。ミシシッピ川の支流沿い、アパラチア山脈の中に隠れた その街には、頑固なキリスト教徒たちが、カントリー音楽を聴きながら暮らしている。川と信仰。まさにそういう街なのだ。もちろん誇張ではあるが、そう言わ ないと、ただ「アメリカにいました」などと言うと、とんでもない誤解を受ける。
川沿いのハイウェイを馬鹿でかいトラックが通りすぎると、一瞬、車内でかかっているカントリー音楽が聞こえ、消えていく。ジョン・フェイヒーの音楽はまさにそんな感じだ。
僕自身は、カントリーもブルーグラスもブルースも、あまり好きではなかった。一緒くたにすると、きっと音楽ファンには馬鹿にされるだろうが。でも、ジョ ン・フェイヒーのヘンテコな演奏が、これらの音楽には今までとはまったく別の聴き方があることを教えてくれた。それは、うまく言えないのだが、その音楽が あたかも遠くで鳴っているかのように聴く、というような。
世の中には、嫌だなと思うような音楽がたくさんあるのだけれど、僕はハタとそれは自分が聴き方を間違えているのではないだろうか、と疑うに至った。「あま りにも近くで聴きすぎ」なのである。勢い、あらゆる音楽に対してうるさいことを言いたくなってしまう。サウンドがどうだとか、ヴォーカルのピッチがどうだ とか、アレンジのセンスがどうだとか。でも遠くから聴いたとき、音楽はどれも、ほとんど妙なる調べと化す。
もしかしたら、歌謡曲であれ演歌であれクラシックであれ、「いい音楽だ」と思っているとき、人は遠くから聞こえるサウンドや旋律に耳を傾けているのかもし れない。だとすれば、音楽を聴く人というのは、マニアックであればあるほど、間違った聴き方をしているということにもなるのではないか。
ジョン・フェイヒーが奏でるアメリカは、今も生き続けている。それは、ディズニーランドの写真をセピア色に加工しただけで見えてくるほど、実に当たり前の ように存在している。ハリウッド映画のなかにも、アメリカの最新チャートのなかにもそれは紛れ込んでいて、ただ誰もそれを普段意識していないというだけの こと。
このアルバムのジョン・フェイヒーはとりわけ幸せそうだ。アルバムによっては、乱暴な、あるいはラディカルな表現によって成し遂げた同じことを、リラック スして軽々と楽しんでいる。だから、ディズニーランドなみに完成度が高い。ほとんどアメリカ・ポピュラー音楽のエッセンスそのままを「再現」してみせなが ら、その遠い記憶を「今ここに」存在させてくれているのだ。

謹んで哀悼の意を表します。


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